リプニツカヤ<どう生きるべきか理解しようとするのをやめた(1)>
2016年3月20日
エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ
五輪チャンピオンが自身のキャリアで最も難しかったシーズンを総括し、アイスダンスへ転向するというアイデアをどう断念したかについて話した。
1週間前、彼女の困難なシーズンが終わった。コーチを変更し、モスクワからソチへ移り、一人暮らしを始めたシーズンだった。今回のインタビューについてはすでに2月、ロシア杯ファイナルが行われたサランスクから同じ車両に乗って帰るときに合意していたのだが、話が長くなると感じたユーリャは後日に延期してほしいと言った。すべての試合が終わってやっと一息つけるときにしてほしいと。私たちはモスクワで会った。この17歳のスケーターがオーストリアのインスブルックで行われたチロル杯で、今季初勝利をおさめた直後のことだ。
トレーニングは毎日が驚き
― 最初から始めましょう。ソチへ移ると決心したときは楽観的な気持ちでしたね。現実との出合いはいかがでしたか。
面白かったです。トレーニングだけでなく、新しい自立した生活を始めようという話でしたから。私はひとりで行きました。しかも生まれて初めて。まず、食べ物を取り出せるのは冷蔵庫からじゃないこと、シャンプーはひとりでにバスルームの棚に現れないことがわかりました。以前はそういうことをよく考えたことがなくて。トレーニングへは最初のころ、徒歩か自転車で行こうとしたけれど、それほど簡単なことじゃないと判明しました。ソチにF1サーキットが建設されてから、リンクへi行くためには変わった迂回をしなくちゃいけなくて。自転車だと、それをかついで橋をいくつも渡って運ぶ必要があるんです。
トレーニングでも毎日驚くことばかりでした。すべてが新しかった。たとえば、基礎体力トレーニングの量がとても多くて。これを何とか氷上トレーニングに結びつける必要がありました。モスクワでは、基礎体力トレーニングを組織的に行うことはなくて、振付のみでした。身体的な準備については各自が自分で面倒を見ていたんです。ソチでは、やはり毎日振付をやっていますが、他のすべての課題に追加的に行われるにすぎません。
最初のうちは陸上練習の大部分を免除されていました。ロシア選手権の準備のため、氷上練習をたくさん行う必要があったので。それでもやっぱり簡単ではありませんでした。アレクセイ・エヴゲーニエヴィチ(・ウルマノフ※編集注)のもとで滑っている他の子たちに比べて、私には筋肉のコルセットがほとんど無いと言ってもいいことがわかったんです。それを短期間で作り上げようとして全力で陸上トレーニングをした翌日は、ベッドに横たわったままほとんど起き上がれなくなりました。
― シーズンの最初、あなたがまだモスクワにいたときですが、プログラム構成を見て正直言って驚かされました。特に、すべてのジャンプが前半に配置されたことに。その時のフィジカル面の限界だったのですか。
なぜ、特にショートプログラムで、すべてのジャンプを前半に入れることになったのか、正直言って覚えていません。でも、フリープログラムをつくるに当たっては実際に問題を抱えていました。五輪シーズンは、覚えていらっしゃいますか、後半に5つのジャンプエレメンツを配したプログラムを滑っていました。その翌年、自分の中では何も変わっていないかのようだったけれど、プログラム前半にコンボを2つとスピン、ステップをやったら、そこでプログラムは終わってしまって。シーズンを通してクリーンな滑りは一度も、練習のときでさえできませんでした。
試合ではすべてがさらに悪くなりました。練習で一度も滑りきれなかった以上、基本的にプログラムを滑ることができないとわかりますよね。そうなると当然、そのことばかり考えてしまいます。自信なんてつきません。
― 五輪の翌年はずっとその調子だったのですか。
もっと長かったぐらい。はじめて全部そろえられたのは、とても弱いプログラム構成だったにせよ、去年の10月のアメリカ合宿でした。その後2回クリーンに通せたのがロシア選手権前で、その時はもうウルマノフコーチのもとで滑っていました。あともう1回が、サランスクのロシア杯ファイナルの前です。
― 言い換えると、楽観主義になるきっかけが新コーチのもとへ移ってすぐ現れた、ということですか。
実はそうではありません。ウルマノフコーチのところでまず最初に直面したのが、まったく馴染みのないジャンプの入りでした。これはスケーターにとって本質的にいちばん重要なこと。入りが正しく組み立てられていなければ、言うまでもなくどんなジャンプもできません。そして私は、入りはいつも同じでなければならないとずっと思ってきたんです。アレクセイ・エヴゲーニエヴィチは、ステップからのトリプルルッツという課題を与えることができました。例えば、ロッカー‐カウンター‐ホップ‐ホップ‐チェンジエッジ‐ジャンプというような。
私たちは毎日、様々な入りからジャンプを跳びました。つまり、何か一定のエレメンツのセットに馴染むことすらできないということです。これがどれほど恐ろしいことだったか…どの子を見てもみんな3回転ジャンプを、しかも何の苦もなく跳んでいるんです。私は2回転さえできなくて。とても大変でした。しかも、自分というよりコーチのことを考えて。コーチはこのあり様を見て、「ああ、僕はいったい誰を生徒にとってしまったんだ?この子をロシア選手権へ連れて行かなくてはいけないのか?」と思っているんじゃないかって。
そして突然、すべてが何だかひとりでに収拾されたんです。私たちはジャンプを取り戻し、エレメンツの配置まで変更しました。
(つづく)
<原文>
http://www.sport-express.ru/se-velena/reviews/979675/
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