ダブル・デビュー(コリャダ選手とチェボタリョワコーチ)
子どもの頃からずっと同じコーチについてトップ選手にまでなった例は、プルシェンコとスルツカヤ、そしてこのコリャダ君ぐらいではないでしょうか。とても珍しいと思います。タラソワさんもテレビ解説中に「彼はなぜミーシングループじゃないのかしら?」とつぶやいていました。
どうか華やかで、鮮やかなダブル・デビューになりますように!!
2015年12月29日
ニコライ・ドルゴポロフ
20歳のミーシャ(※ミハイルの愛称)・コリャダが良いスケーターだということはみんな知っていた。しかし、ロシア代表チームで1番や2番の役目をする選手だとはなぜか思われていなかった。もしかすると、それはミハイルだけが原因ではないのかも? 過酷なフィギュアスケートの世界では、代表チームへの選抜問題となると、コーチの魔法的影響力が重大な役割を演じる。しかるべく偉大だと認められている指導者たちがいて、彼らの言葉、切望、そして運命の支配者に対する高度のアピールが、その教え子の運命において重大な役割を演じるのだ。しかし、それはそういうものだと世界中のフィギュアスケート界で受け止められている。だからこそ選手の方も、高名なコーチなら不当な仕打ちを見過ごさずに突破口を開いてくれることを知っていて、指導者を変えることがある。
ロシア選手権の銀メダリストとなったミーシャ・コリャダは、ワレンチナ・ミハイロヴナ・チェボタリョワコーチのもとに、あいにく15年もいる。サンクトペテルブルクの小さなスケートリンクで滑るすばしっこい少年に目がとまったのは、彼が5歳のとき。彼女はその子を生徒にとった。
4人きょうだいの家庭で育った男の子は成長し、大人になり、経験を積み、専門技能を身につけた。しかしそれは、この競技を心得ているすべての者にとって典型的でもっともな現象だ。勝ちはじめ、表彰台に上がるようになったが、そこへ注目が集まった。別のコーチたちがミーシャ・コリャダをスカウトしはじめたのだ。そう、もの静かでレニングラード的なインテリゲンチアであるワレンチナ・ミハイロヴナよりもはるかに大きな声で話す、名の知れたコーチたちが。彼女は実のところ、驚きはしなかった。世の中にはそれぞれ法則というものがある。その運命を変えるよう誘われた生徒は、ミーシャが初めてではなかった。
悔しかったか? 無論だ。自分が育てたシングル選手のオクサナ・カザコワを喜んで引き渡したのは、また別の話だったから。彼女は有名なアルトゥール・ドミトリエフとペアを組み、オリンピックで金メダルを獲ったのだ。去るときは簡単に、より正確に言うと、それほど簡単にではなく…これを裏切り行為などとチェボタリョワが考えているわけではない。しかし、このような別れがコーチにとっていかに辛いものか。
ちなみに、ミーシャ・コリャダは残った。ゆるぎなかった。誘いを受けなかった。彼は自分の大家族と相談した。ワレンチナ・ミハイロヴナが言うには、仲良し家族だそうだ。そして家族会議で全会一致の決定がなされ、チェボタリョワに伝えられた。「ミハイルはあなたのもとに残ります」
その決定はもちろん、スケーター自身によるところも大きかった。ロシア選手権の銀メダリストはまだインタビューに不慣れだったものの、開催地のエカテリンブルクで私に対してきっぱりと答えた。「それ以外の決定はできなかったでしょう。僕たちは15年間一緒にいます。そしてほら、結果が出ました」
たしかに結果は出たが、すべてが夢物語のようだ。ただ、クリスマスや新年ではなく11月21日に起こったのだが。有名なアルトゥール・ガチンスキーが22歳でフィギュアスケート競技に別れを告げる決心をし、グランプリ・モスクワ大会に替わりの選手が出ることになったのだ。誰が? そう、彼だ、コリャダだ。ミーシャはチャンスをつかみ、なかなかの演技をした。たしかにエカテリンブルクの選手権では優勝候補に挙がっていなかった。別の有力選手たちがいた。しかしコリャダは4回転ジャンプをうまく跳び、残りのエレメンツも確実に決めて、マクシム・コフトゥンに次ぐ成績となった。
ブラチスラヴァで開催されるヨーロッパ選手権へ、2番手として自動的にメンバー入りした。20歳というのは、こう書くのは少し奇妙だが、シングルスケーターとしてはすでに若くない。今か、あるいは…ワレンチナ・ミハイロヴナ・チェボタリョワもこの選手権にデビューするのだ。
率直に
― ワレンチナ・ミハイロヴナ、おめでとうございます。ブラチスラヴァでの成功をお祈りします。
ワレンチナ・チェボタリョワ:感謝いたします。ええ、私は恥ずかしがったりしません。初めて教え子を連れてヨーロッパ選手権へ行きます。ダブル・デビューです。春に年金受給の手続きをしましたが(※ロシアの年金受給開始年齢は、原則として女性55歳、男性60歳)、放り出すことにして、そのことは考えません。戦う準備はできています。
― あなたにしばしば注目していました。いつもこんなふうに控えめで、離れた場所にいらっしゃいます。インタビューを避け、沈黙を守っているようにお見受けします。
ワレンチナ・チェボタリョワ:おそらくそれが私のスタイルなのでしょう。トレーニングでも声を張り上げたり、子どもたちを叱りつけたりしません。私たちの間には静かな規律ができあがっています。そして、みんながそれを守っているのですよ。
― あなたのもとから非常に才能豊かな生徒たちが連れ出されて行ったのは、辛いことでしたか。
ワレンチナ・チェボタリョワ:私は名のあるスケーターではありませんでした。大学を卒業して、小さなリンクに子どもたちを集めました。その中に才能豊かな子がどれほどたくさんいたことか!そういう子たちと練習に取り組むのは楽しかったです。もし誰かを大きなリンクへ連れ出しているのが私ではなく、すでに他の人だったら、しかたありません、運命です。私は人生をずっとリンクで過ごしていて幸せです。でも、こうやってミーシャと突破することができました。これまでのコーチ人生で最大の喜びです。
― 社交辞令を言わないわけにはいきません。何か年金のお話をされていましたが、お若く見えますね。
ワレンチナ・チェボタリョワ:ご説明しましょう。生涯、自分のやりたいことを、特に子どもたちと一緒にやっていると、小じわが寄らないのですよ。
<原文>
http://www.rg.ru/2015/12/30/kolyada.html
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