サハノヴィッチ<ブレーキをかけずにダブルアクセルを跳んでいる(下)>
― フィギュアスケートを始めたのはかなり遅かったと言っていましたね。
もともと両親は私をスポーツ教室に入れたかっただけで、家のすぐ近くにアイスリンクがあったので、それですべて決まったことなんです。パパとママはフィギュアスケートのことをフィットネスのように見ていて、それ以上のことはありませんでした。私自身もはじめのうちは、これほど本格的なものになるとは思っていませんでした。
― アリーナ・ユーリエヴナ・ピサレンココーチがあなたを生徒にとったのはなぜだと思いますか?
体格が良かったからです。コーチご本人がよくそう仰っていました。私は飲み込みが早くて、11歳ぐらいまでに全種類の3回転ジャンプを跳んで…どんなふうにスポーツにのめり込んで行ったかは、自分でもわかりません。毎年、毎年、トレーニング、トレーニングで…でも、今はフィギュアスケートなしには生きていけません。休暇中にあと何日でリンクへ出るか数え始めるんです。待ちきれなくて。気分が晴れなくて。
― やめたい、投げ出したいと思ったことはないの?
私はありません。ママはありました。でもママを理解しないと。ママは私のことで、特に何かうまくいかないときに心を痛めてるんです。イライラし始めて、こう言います。「もうたくさん、やめましょう、終わりにしましょう」って。何度もそういうことがあったけれど、本格的だったのは2回ぐらいで、そのときは家から出してもらえませんでした。1週間トレーニングに行けませんでした。
― それでも、お母さまは今回のことに賛成して、あなたと一緒にモスクワへ引っ越して来ましたね。
フィギュアスケートが私にとってどれほど真剣なものか、ママは理解してくれたんだと思います。でも、今ママが私に比べてどれほど大変か、私も理解しています。私にはやるべき仕事があるけれど、ママには私と、私に関連するものしかありません。パパはピーテルにいます。親戚もピーテルです。ママは私のためにとてもたくさんのものを犠牲にしました。ありがたく思わないと。それに、私がピーテルで、そして今はモスクワでトレーニングしながら受け取っている実生活と、専門分野の経験も(?)。
― 部屋は借り上げてもらっているんですか?
いいえ、自分たちでリンクのそばに借りています。今のところいい感じです。
― モスクワに足りないものは?
パパと、親しい人たちと、私の犬。部屋探しをしたとき、すべての広告がほぼこんな感じだったんです。「子どもと動物はお断り」って。
― 悲しい思い出からどうやって気を逸らしているの?フィギュアスケート以外では何をするのが好きですか?
マッサージをするのが大好きなんです。みんなに、いつもやってます。
― どこで、あるいは誰に習ったの?
パパです。私がまだ小さかった頃に、プロのマッサージ師の技を自分のものにしたんです。私もマッサージをする必要がありました。パパはただのアマチュアとはいえ、色んな種目の格闘技をかなり専門的にやっているので、私のこともスポーツ選手としてとてもよく理解してくれます。氷上や陸上トレーニングから帰ってきて、手足の関節が痛かったり、筋肉痛になっていると、パパがマッサージしてくれるんです。私はそれを見て覚えました。どうやら私の指や腕は丈夫で強いみたい。それはマッサージが効いているからです。みんないつも満足してくれます。
日本で行われたグランプリ・ファイナルの試合の後、私はロシアの女の子たち全員に5時間マッサージしたんです。アデリナにも、ジェーニャ・メドベージェワにも、サーシャ・プロクロワ、アーニャ・ポゴリラヤにも…アデリナはマッサージのあと身体全体がいい具合になって、普段から私が彼女のマッサージをしなくちゃいけないかもって、冗談で言ってたぐらいです。
― 昨シーズンはたくさん試合に出ましたね。プラス、あるいはマイナスをつける試合は?
ジュニア世界選手権はとても大変でした。悪かったです。右足を傷めて、麻酔を打って滑りました。あるドクターは靭帯の炎症、別のドクターは中足骨の骨折だと言いました。もし炎症なら2週間ぐらいで引くはずだということでした。でも、痛みは1カ月以上おさまりませんでした。トゥ系のジャンプは全部、フリップ、ルッツ、ループは右足を突くので跳ぶのが痛かったです。でも、シーズンの最後まで何とか滑り切って、コンディションは落としませんでした。休暇に行きました。ほぼ1カ月休むことができました。休暇先はトルコ。海に、塩。健康にいいし、とてもきれいでした。特にパムッカレに行ったとき。全部まるで雪みたいで…肩の荷を下ろして、休んだら、痛みもなくなりました。
プラスの試合として思いだすのは、サランスクのロシア選手権です。いい滑りでした。ダブルアクセル以外は全部できました。でも、アクセルジャンプはそもそも正しくないやり方で覚えてしまっていて。自分の子どもの頃のビデオを見ると、どこでもアクセルをその場で跳んでいて、ブレーキをかけています。
― いちばん最初のインタビューで、「氷は生きている」というフレーズを使って驚かせてくれましたね。今でもそう思う?
もちろんです。氷は生きています。こちらが接するのと同じ態度で、向こうも接してきますよ。こういうことがよくあります。選手が転倒して、氷を憎らしげにかかとで蹴りだす。穴があいて、その穴にまた後で同じ選手がはまるんです。氷は、敬意ある態度が好きです。氷の上を滑って、進んで、ブレードで撫でてあげれば、氷の方からジャンプへと押し出してくれますよ。
― すごい例えね。詩は書かないの?
いいえ。詩は読むのが好きです。私とパパの好きな詩人は、エドゥアルド・アサドフとセルゲイ・エセ―ニンです。パパは詩が大好きなんです。私たちには共通のテーマもあって、動物についてです。一緒に声に出して読み始めると、まるで溶け込んでしまうよう。エセーニンの、仔犬を取り上げられたお母さん犬の詩が大好きなんです。かわいそうに…
― 泣
泣
― 悲しい音色でインタビューを終わるのはやめましょう。もうすぐグランプリシリーズも始まることだし。この試合で達成したいことは?
私のスケートがより良く、より力強くなったことを、私が成長したことをどうしても見ていただきたいです。連盟の幹部やジャッジが私たちのトレーニングにやって来て、実際にそうだという意見で全員一致したんです。出来ることの最大限を、そして出来ないこともお見せしたいです。不可能を成し遂げたいです。
(おわり)
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