サハノヴィッチ<ブレーキをかけずにダブルアクセルを跳んでいる(上)>
それにしても、なんと見事な受け答え!リーザ、アデリナ、ユリアの14歳当時よりもさらに大人びているような。
2014年8月1日
オリガ・エルモリナ
ブレーキをかけずにダブルアクセルを跳んでいる
(前文略)
―シーマ(※セラフィマの愛称)、どんな理由でモスクワへ移ったの?
資金繰りがたいへんで。ピーテルではスポンサーを買って出てくれる人が誰もいなくて、年々増えていく費用を両親になすりつけるのは正しくないと考えたんです。
― それでも、あなたの移籍問題はすぐには解決しませんでしたね。
ピーテルのフィギュアスケート連盟が私を行かせたくなかったんです。サンクトペテルブルクにはそれでなくてもフィギュアスケート選手がほとんどいないのに、と言われました。でも、もし行かせてくれないなら競技をやめてしまおうと決めて、私はそのことを隠しませんでした。移籍完了の期限にせまられて、ピーテルは私の引っ越しに同意することになったんです。
― モスクワへ移って、そして…
歓迎してもらいました。エテリ・ゲオルギエヴナ(※トゥトベリーゼコーチ)のグループの子たちのことは全員知っています。それでも、1回目のトレーニングは私にとって難しいものになりました。世界選手権のあと長い間、ほとんど1カ月休んでいたので。でも、ノヴォゴルスクのリンクに出るとすぐ、すべての3回転ジャンプをいっぺんに跳びました。
― いつ新しいプログラムをつくり始めたの?
合宿の最初に。まずショートプログラムをつくりました。音楽は、映画『私のかわいい優しい獣』(※邦題『狩場の悲劇』、英題『My Sweet and Tender Beast』。1978年のソ連映画。原作はチェーホフ)のワルツです。
― かつてその音楽でアメリカのサーシャ・コーエンが滑りましたね(※ソルトレイクシティ五輪の動画を貼っておきます)。彼女のお母さんがウクライナのオデッサ出身で、この映画がとても好きだったと話していました。
本当に美しいメロディーです。私の両親も大好きで。それに私自身もこの曲をよく感じています。イメージがやさしくて分かりやすいんです。私の演じるヒロインは、少し大人になったけれど、でも子ども時代と別れたくない。ちなみに、子ども時代を象徴するのは小鳥で、プログラムの最後に放します。でも、もういちど子ども ― 率直で、幸せで、屈託のない ― になりたいと願わない大人なんている?だから、小鳥を放すと、私はそれを追いかけることにするんです。
プログラムをつくったのはエテリ・ゲオルギエヴナです。技術的にはそれほど難しくないけれど、とてもきれいで優美です。この新しいプログラムの中でまだ誰もやったことのない、普通とは違うスピンのポジションを見ていただけます。ジャンプはこれまで通り後半です。今ではダブルアクセルも良い感じで。少なくとも以前より良くなっています。これまでは事実上“その場”で跳んでいたけれど、今は進みながらやるように努力していて、ブレーキをかけずに跳んでいます。
― フリープログラムも普通とは違うものだと聞きました。
フリープログラムで私たちが選んだのは、私にとってまったく新しい大人の女性のイメージです。だから最初は疑いがあったんです。これを選ぶ価値があるのかって。でも、私はこう言いました。この音楽も、テーマもやってみたい、だって結局それぞれ、どんな年齢でも、恋愛は起こり得るんだからって。
いまお話ししているのは、アストル・ピアソラの『オブリビオン』のことです。私のフリープログラムの前半部分になります。後半はリズミカルなダンスのメロディーで、ジェーニャ・プルシェンコも使っていた曲です。
プログラムの主題は、ある女の子の物語です。あさ目を覚ますと、となりに恋人がいなくて、代わりに手紙が目に入って、君と別れると書いてあるんです。まず彼女はかっとなって、手紙をくしゃくしゃに丸めて捨てます。でも、何もかもがあまりに突然で、思いがけないことだったので、起きたことを完全には信じられなくて、愛する人に優しい感情を抱きつづけます。こうして、悩みと苦しみのうちに前半が過ぎ、後半へと続きます。時間というものは一番の薬師で、あるとき女の子は理解します。このページをめくって、生きて、楽しんで、微笑みはじめなければいけないって…ヒロインは何もかも忘れて、自分は自由で幸せだと感じて踊るんです。そしてプログラムの最後に指輪をはずして、投げ捨てます。
― そういうプログラムだと、本当に感じ取る必要がありますね。
もちろんです。私は、人間の運命を物語る、魂のあるプログラムが好きなんです。空っぽの、スケートで表現するものが何もないものは嫌いです。すべてうまく行くと思っています。私は大人っぽくなるのが早かったから。家族が私を決して小さな子ども扱いしなかったんです。私には姉が2人います。ひとりはもう娘がいて、もうひとりもお腹に赤ちゃんがいて、これは私たちにとって大きな幸せです。残念ながらめったに会えないけれど。このことは不満に思っています。
子どもの頃、私はいつも姉たちに後れを取らないようにしなくてはいけなかったし、できるだけ早く大きくなりたかった。だって、私がしてもいいと許されていることがほとんどなかったから。ハリネズミの手袋の中に入れられて(※ビシバシと厳しくされて)いたと言えます。とはいっても、両親はとてもいい人で、全面的に支えてくれています。
(つづく)
<原文>
http://www.fsrussia.ru/intervyu/136-serafima-sakhanovich-dupel-prygayu-bez-tormoza.html
<自習メモ>
на ходу' 歩きながら/進行中に
ле'карь (革命前の)医者
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