ソトニコワ<みんなに忘れられて成長できた(1)>
2014年5月5日
アンドレイ・ワンデンコ
みんなから存在を忘れられてしまったことでむしろ気合が入り、選手としてより成長できた
(前文略)
― アデリナ、色んなことがありましたが、それを実感する時間はありましたか?
栄光の試練のことですか?すべて問題なく行っているし、目まいがするようなことはありません。ええ、ファンは増えたし、ジャーナリストからよく注目されるようにはなったけれど…でも、正直言って私自身、何が起こったのかまだちゃんと認識できていないんです。現実のことだと信じるには何もかも急激すぎて。まるで指をパチンと鳴らす間に起こったみたいで…
私はとても長い間オリンピックを待っていて、粘り強く準備してきたのに、オリンピックは一瞬のうちに飛び去ってしまいました。ソチの自分の演技をエンドレスで見て、毎回こう思うんです。「どうして何もかもこんなに早く終わってしまうの?!不公平よ!」って。あの状況に戻って、もういちどお祭りの雰囲気にひたりたいです。私は滅多に自分の試合での滑りに満足しないけど、ソチでは何もかも気に入りました。ショートプログラムもフリープログラムも。文句なしにね。こんなことは韓国の世界ジュニア以来、約3年ぶりでした。やっぱり自分が優勝したときでした。
― あなたにとってオリンピックは挫折から始まりましたからね…
はい、その通りです。団体戦に出場する気満々だったのに、メンバーに入れてもらえなくて。それは冬季オリンピックで初めて採用された競技で、ロシアチームがメダルを獲らなくてはいけないことはすぐに分かりました。最低でも銅、うまく行けば金をね。チームの女子シングル選手としてユリア・リプニツカヤと私が演技する予定でした。でも、試合の約1週間前、ユーリャに有利な選考が行われて。私は補欠として取り残されました。
コーチのエレーナ・ゲルマノヴナ・ブイアノワ(ヴォドレゾワ)からこの決定を知らされたとき、私の中で突然何かが引きちぎられたように感じました。強烈な打撃でした。思ってもみなかったことで、恐ろしく気落ちしました。涙が出るほど。何年もかけて作り上げて、目指してきたことが一瞬のうちに消え去って、地獄へ落ちてしまったんです。エモーションやパワーがなくなって、からっぽになってしまいました。
家に帰ってわーっと泣きました。2日間泣きやむことができませんでした。ママがなだめようとしてくれたけれど、耳に入ってこなくて。まったく気持ちの入らないまま練習に行きました。リンクで何を何のためにしているのか分かりませんでした。なんだか打ちのめされてしまったんです。
エレーナ・ゲルマノヴナ、タチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワ、振付師のイリーナ・アンヴァロヴナ・タガエワとピョートル・チェルニショフから、嫌なことは考えず、団体戦のことは忘れて、団体戦なんてまるで無いかのように個人戦へ向けて準備するよう説得されました。
すぐに平静を取り戻せたわけじゃありません。機械的に滑って、ジャンプしていましたが、前とはちがって心に何も感じませんでした。そしてソチへ発つ日になりました。そういうルールになっていたんです、あらゆる場合に備えてね。交替が必要になるかもしれないでしょ?でも、みんなよく分かっていました。これが中身のない形式的なものだということを。
オリンピックが公式に開会する前にいちど練習で滑って、ユリアが1位になったショートプログラムを見て、モスクワへ戻りました。フリーの試合までは残りませんでした。観客席に座っているのがあまり嬉しくなかったことは言うまでもありません。女の子たちが勢いよく滑っているのを見て、自分もリンクへ出て行きたくなりました。その一方で、お客さんたちの声援を聞いて、選手に対する観客の反応を感じて、自分がこの後どうすればいいのか理解しようと決めました。
― リプニツカヤを妬ましく思いましたか?
いいえ!これっぽっちも…本当です!そういう病気はずっと前に治りました。まだとても小さかった頃なら、ついかっとなってライバル選手に不快なことを願ったかもしれません。エレメンツを遂行できませんようにとか、ジャンプをきれいに跳べませんようにとか、きちんと着地できませんようにとか。でも、そういう年齢を過ぎて、それは愚かなことだと分かったんです。神様はすべてお見通しだし、みんなそれぞれ運命があって…他人に悪いことを願えば、自分を毒してしまうだけ。それでは100倍も悪いことになります。いいえ、私はそんなことは嫌だから…
― ユリア・リプニツカヤに優勝のお祝いを言いましたか?
はい、もちろんです。ただ、試合が終わってからでしたけど。私たちは大会中は話をしません。ぜんぶ終わって、メダルが授与されてやっと…シングル選手はこうなんです。たしかに、全員がそうというわけじゃありません。でもユーリャがコンタクトを取るのはコーチとお母さんだけなんです。これは彼女が選んだこと。彼女はその権利を持っています。私は何も非難したくないし、何も解説したくありません。他人の様子を際限なく伺うよりも、自分の人生を生きる方がいいと思っています。
さて、私がオリンピックの団体戦メンバーから外れたという知らせを受けて、どれほどがっかりしたかというお話をしていましたね。とても辛かったけど、時間が経つと和らいできました。ネガティブな感情が涙と一緒に外へ出て、落ち着きました。そして新しい力で練習し始めました。ずいぶん楽になりました。
― 周囲はこぞって15歳のチャンピオン、リプニツカヤのことばかり書いたり、話していたにも関わらずですか?「ユーリャ、ユーリャ、ユーリャ…」という声がアイロンからも聞こえていた気がします!
何も耳に入らないようにテレビのスイッチを切りました…その一方で、みんなから存在を忘れられてしまったことでむしろ気合が入って、選手としてより成長できました。ただ、タチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワは、1チャンネルのテレビ中継で念を押してくださいました。オリンピックにはこのあと個人戦があって、ロシア代表はリプニツカヤとソトニコワの2人で、どちらにも期待がかかっていると。
それでも、私がソチの『アイスバーグ』パレス(フィギュアスケートの試合会場)の練習に出たとき、観客席に集まったファンたちがシュプレヒコールしていたのはたった一人の名前。「ユー・リャ!ユー・リャ!」。私は嘘をつくつもりはありません。私はその瞬間、我慢しきれなくなってこう思いました。「えーっ!いったいどれだけ?」って。お返しに叫びたくなりました。「ねえ、祖国の観客の皆さん!私もここにいます!」って。だって場内では、「リンクの選手をご紹介します…アデリナ・ソトニコワさん、ロシア」というアナウンスもあったんですよ。私は滑走メンバーの中で最初に名前を呼ばれたんです。すると、当惑したようなざわめきが広がりました。アデリナだって?ソトニコワって何者なんだ?って。
そして、ユーリャの名前が会場に響くと、熱狂的な叫び声と拍手喝さいが始まりました。私は滑って、思いにふけりました。「いいわ、ユーリャはユーリャよ。これからどうなるか見てみましょう…」。今はもうニコニコしながらこの話をしています。良い場面だけを思い出したくて。
(つづく)
<原文>
http://7days.ru/article/privatelife/adelina-sotnikova-to-chto-vse-zabyli-obo-mne-dazhe-podkhlestnulo-dobavilo-sportivnoy-zlosti/1
<自習メモ>
щелчо'к па'льцами 指をパチンとはじくこと
полететь в тартарары’ 地獄へ落ちる
и в поми’не нет そんなものは全然ない
взять себя в ру’ки 冷静になる、平静を取り戻す
сгоряча' ついかっとなって/興奮のあまり
во’ сто крат 100倍も
утю'г アイロン
возлага'ть надежды на кого-что に期待をかける
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