プルシェンコはロシア代表に復帰するか?
2014年4月25日
イワン・ラズメーエフ
(前文略)
プルシェンコはソチ五輪の団体戦で金メダルを獲得したが、その後の個人戦は腰の怪我のため棄権した。脊柱のボルトが折れたのだ。4月の彼個人のショーツアーをキャンセルしたスケーターは、現役引退の宣言までした。ところがその後、イスラエルで受けた腰の手術が成功し(3月10日に退院)、どうやら考えを変えたようだ。
「エフゲーニー・プルシェンコは、試合からエモーションを受け取る必要のある、そういうスポーツ選手のひとりだ」と、モスクワのフィギュアスケート連盟に近い人物が『夕刊ペテルブルク』の記者に話す。「彼は戦いなしには息ができない」
今やプルシェンコという苗字は、ロシア代表チーム候補者の予備リストに載っている。彼を指導するアレクセイ・ミーシンコーチが明言したとおり、エフゲーニーは6月16日より本格的なトレーニングに着手する。
「6月前半は、エフゲーニーは回復治療に専念する。その全コースを必ず通らなければならない」とアレクセイ・ミーシンが語る。「したがって、ロシアフィギュアスケート連盟公式サイト上の、エフゲーニーがもう7月(※6月の誤りだと思われます)1日から始動するという情報は正しくない」
アレクセイ・ミーシンは次のように確信している。オリンピックで優勝を果たしても、スポーツ選手は、なかんずくフィギュアスケーターは、スポーツへの思いから解放されることはないと。
「ひとつお話をしよう。2006年のトリノ五輪が終わったときのことだ。私はミハイル・クスニロヴィチ(※Boscoグループの創業者)と会い、そこで少しばかり非友好的な議論が展開された。彼はこんなことを言った。エフゲーニー・プルシェンコは五輪金メダルを獲って“肩の荷が下りた”から引退できると」と、コーチは述懐する。「それに対して私は、五輪の勝利は新たな挑戦と、不安と、疑念を生むのだと意見した。スケートをやめるのはいちばん簡単なことだ。しかしその後、現役選手として残った者を羨むことになり、しかも、時として認めたくないようなコンディションになる」
しかし、いちばん重要なことは、教授が生徒のコーチを続ける用意があることだ。我らがペテルブルクっ子が自身5回目の五輪となる、韓国の平昌に出場する決意をしたとしてもだ。
「プルシェンコはぜんぶ持っている。何のためにさらに自分を苦しめなければならないのか? ペリメニを食べて、心穏やかに眠っていればいいのに、という声をよく聞く。しかし、例えば、何のために赤ん坊は四つん這いから立ち上がらなければならないのか? 何のためにボブ・ビーモンは8m90cmの跳躍をし、ウエイトリフティングのユーリ・ウラソフは500kgのバーベルを“引っ張り上げ”なくてはならなかったのか? あるいは、何のためにルイ・パスツールは自分に病原体を植えつけ、その経過を学ばなくてはならなかったのか?」とアレクセイ・ミーシンは問う。そして自らこう答える。「それは挑戦だ! それは乗り越えることだ! それは人間に未知と進歩への窓を開かせるのだ」
<原文>
http://vppress.ru/stories/Evgenii-Plyuschenko-vozvraschaetsya-v-sbornuyu-Rossii-23483
<自習メモ>
значится в предварительном списке кандидатов в сборную России
ロシア代表チーム候補者の予備リストに載っている
камень свалился с души 肩の荷が下りた
вы’зов 呼び出すこと/出頭命令/挑戦
трево’га 不安、心配/危険信号
вставать на’ ноги 立ち上がる
неве’домый 未知の
ве’домый 知られている
ве'домость 一覧表
ве'дать 知る、知っている
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