ズーリン(3)<選手は兵士であるべき>
(一部抜粋)
私は今でもトービル/ディーン組の作品を見ます。今でも彼らの演技を生徒たちに見せます。現在の目線で見ればスピードが無いのは分かっていますし、私が思うに、女性(トービル)が役者として男性(ディーン)に負けているのも分かっています。でも、二人両方に基準となるものがあります。基準のポジションや、基準のスケーティングが。彼ら以上にお互いが密着して、並行して滑った人間は誰もいません。もうこの先も現れないでしょうね、おそらく。彼らは1日8~9時間練習し、フィギュアスケートに人生を捧げていましたが、今そんな人にお目にかかることは滅多にありません。
― というと?
我が国の選手たちは、練習をさせる必要があるのです。私の生徒たちは実質的に耕作者です。とにかく練習会場へ行って自分で何かしさえすればいいのだと、自分の頭で理解できるにも関わらず、彼らにはそれができないのです。つまり、何でもするのですが、自分からはしないわけです。もしかすると、まだ早すぎるのかも?もしかすると、時間が経てばあるいは…もしかすると、今は本当にトレーニング後に息をつく方が良いのかもしれません。あと1年も私のもとで滑れば、自分からクリエイトし始めるかも。
― メンタリティでしょうか?
そうは思いません。私とマイア(※ウソワ)もロシア人ですよ。
― でも、カーチャとジーマ(※ボブロワとソロヴィヨフ)は必要な方向へ前進していますよね?
とても立派に前進しています。でも、クリエイティビティの話をするなら、もうひとつこんな疑問が出てきます。ジーマとカーチャがコーチや振付師になりたがるとはまったく限らないということです。私はずっとそれを夢みてきたので、まだ若いうちからリフトを考案していました。アベルブフもそうですが、トービルとディーンも自分のリフトはすべて自分で考えていたに違いありません。その結果、ディーンとアベルブフは偉大な振付師になりました。このズーリンも彼らに後れを取りませんでした。
発明への内なる呼び声はあるかもしれないし、無いかもしれない(?)。あるのは選手という名の兵士。素晴らしい兵士です。あなたは彼に「スピードを出してこのリフトを14回やるんだよ」と言う。彼はそれをやります。でも、相手が私だったら、当時の私を指図して何かをさせるなんて、とんでもないことでしたよ。私は自分で何でも決めていましたから。もしかするとこれはマイナ面かもしれません。選手は兵士であるべきなので。「イエス、サー!」「前へ進め!」ってね。
― でも、兵士には即興性がありませんよね。
いいえ、オリンピックで勝てさえすれば何の問題もありません。そのうち多面的な思考が育ってくるかもしれませんし。自分で分かっていることは、コーチとしての私には “遂行者”が必要だということです。
― ご自身とは対極にいる人間ですか?
いいえ、単純に私の言うことに耳を傾け、すべてそのようにする必要があって他の方法はないのだと、敬虔に信じる人間です。もしコーチが正しく、生徒の目から見て理にかなって正しければ、それはコーチにとって快感です。
― その理にかなっている様子はどうやって示すのですか?
燃える目で。
― そういう調和をいつもうまく達成できるとは限りませんよね?
私がとても恐れているのは、生徒の「スター病」です。ジーマとカーチャ、あるいはキリル・ハリャーヴィンとクセニア・モンコがいつかその病気にかかったとしたら、私の言うことを聞かなくなるでしょう。でも、そんなことが起こらないよう強く願っています。
― もし起こったら?
終わりの始まりを見ることになるでしょうね。自分がいちばん賢いと思って、他人を信用しなくなれば、ピリオドは近くなるでしょ。
― それは、かつてあなたのもとで練習していたイリニフ/カツァラポフ組のことではありませんよね?
それは、あなたご自身がすでに思い至っていることですよね。
<原文>
http://sochi2014.rsport.ru/sochi2014_figure/20130904/684859684.html
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