(中略)
― 今あなたはコーチをしていますが、それ一色の生活ですか?
いま僕はエフゲニア・タラソワ/ウラジーミル・モロゾフ組のコーチをしています。そこに全生活をかけようとしています。自分のプロジェクトにかけた時間も含め、多くの時間が失われてしまいました。そして今、特にアイスショーもなくなったので、「アイス・エイジ」(※ロシア第1チャンネルの人気テレビ番組。元フィギュアスケート選手と有名人がカップルを組み演技を競う)への出演を断りました。二人と一緒に元のレベルに戻る試みをするために。
― 2年前のインタビューをよく覚えていますが、あなたはその時こう言いました。「1年やってうまく行かなかったら、そこで終わり。邪魔しないように自分から去る」と。つまり、今は「噛みはじめた」ということですか?
僕は1年間きちんと仕事をしましたが、二人には助けが必要でした。向こうから頼んできたんです。僕はこのペアのコーチという形ではなく、ポイントごとにサポートしようとしました。もしフルでコーチをしていたら2か月ももたなかったと思います。
今年は自分たちとの仕事に集中してほしいと頼まれ、僕はあらゆることを天秤にかけて、僕自身にある目標を設定しました。僕は選手としてオリンピックに2度出場したし、ピョンチャン五輪のときは第1チャンネルで仕事をしました。今度はコーチとしてオリンピックで仕事をしたい。リンクサイドに立ちたい。僕にとってそれは今とても重要なことだし、そのためのすべてがそろっています。自分のペアを五輪へ連れて行ったコーチになりたいんです。
「アイス・エイジ」という大きな問題に突き当たりましたが、僕にはペアがいるので、このプロジェクトを断ることができました。
(中略)
― ペア競技が日陰に行ってしまうのが不安になりませんか?
競技を引退したばかりの頃は、ガンガン足を踏みならして、目をむいて、ペア競技がサバイバルゲームと化していると叫びました。「この競技は溺死させられようとしている。ペアはもうすぐなくなってしまう」と。でも、その後気づいたんです。「自分は何も変えられず、現状に何も影響を与えられないなら、何のためにこんなことをするんだ?」と。会議室を歩き回ってズボンを擦り切れさせることはできません。
― 残念です。というのも、私個人にとってペアとは常にフィギュアスケートそれ自体の神髄だったからです。難度と、美しさと、男と女の「化学反応」と、幾何学的同調性を見られるのはペアだけです。こんなことを言うと女子シングルのファンたちからボロ雑巾が飛んでくるのは分かっていますが…
正確に言いましょう。「見られる」ではなく「見られた」です。今は単なるスポーツになっています。サイドバイサイドのジャンプをそろえて跳べば「よくやった」となって、誰もそこにラインがあることを見ていません。ベロウソワ/プロトポポフ組、トットミアニーナ/マリニン組、それに多分、ちょっとだけヴォロソジャル/トランコフ組の写真も見てください。彼らのラインを見てください。直角は直角であり、磨き上げられ、1センチ単位まで調整されています。それが今では誰もそんなことを必要としていません。ジャッジはどうでしょうか? 採点しているのはシングルスケーターで、ペアスケーターは事実上いません。もしいたとしても、いつ滑っていたのか僕は知りません。彼らが悪いジャッジだと言っているわけではありませんよ。ペアを自分でやってみたことが事実上ないというだけです。
― では、あなた自身はジャッジにならないのですか?
いいえ! 決してなりません。どうすれば誰かをジャッジできるのか分かりません。いつもジャッジされてきたので、やりたくありません。選手にとってのジャッジにはなりたくありません。
― 自分以上に自分の滑りを望んでくれる人たちのためにいつも滑っていたと、いつか話していましたね。
それはその通りです。ソチオリンピックの1年前に父が亡くなりました。ヨーロッパ選手権の直前でした。父こそが僕の一番のファンでした。オリンピックで優勝した後、どれほど父のリアクションが、眼差しが、言葉が、喜ぶ姿が足りないと感じたか、今でも覚えています。僕がオリンピックで優勝する姿を父が見られますようにと、いつも思っていたんです。父は、もしかすると、あっちから見ていたかもしれませんね。きっと。とてもエゴイスティックに聞こえるかもしれませんが、あのときは本当にそれがとても必要だったんです。
あのオリンピックのフリープログラムは、名勝負だったとは言えません。ショートプログラム終了時点ですでに全部わかっていましたから。ちなみにあのフリーは僕の最悪の演技でした。ロボットみたいに、ただプログラムを滑り終えるためだけに、機械仕掛けの人形のように滑りました。
― 今がっかりしてため息をついているファンがどれほどいるでしょう。
僕の最高のフリーは、五輪前に行われたグランプリ日本大会での滑りです。あの演技は誇りに思っています。自分のことは分かっています。僕がゾーンに入り、それをつかみ、化学反応をつかんだとき、僕たちは心に入り込みました。僕たちは生きていました。技を順に追うのではなくね。こういうことはフリープログラムでときどき起こりますが、“いつも”には程遠い。でも、あれは本物の快感でした。
― ソチのショートプログラムの歴史的な世界最高得点は、とうとう破られることはなくなりましたね。
はい。そして、これに迫る得点が出てくるとき、あのコンポーネンツに本当に迫るものなのかを問うことにとても興味があります。将来的に見たいと思うプログラムは、僕たちのようなものや、アリョーナ・サフチェンコ/ブルノ・マッソ組の五輪のフリープログラムのようなものや、現世界チャンピオンである中国ペアの昨年のフリープログラムのようなものです。もしくは、タラソワ/モロゾフ組のラフマニノフ2番のようなもの。僕にとって基準となるペアスケーティングです。
(つづく…予定)