<フィギュアスケートを爆破する(中)>
コンポーネンツ攻防戦。セカンドスコアについて
これらの得点計算の結果、ルールに不慣れな観客が転倒シーンを見て、そのペアは勝利にふさわしくないと考え始めるのは珍しいことではない。そして試合が終わると、「ジャッジはあのペアをセカンドスコアで引き上げたが、オリンピックでは何も当てにできない…」といった声がますます聞こえてくるのだ。この得点について二人は揺るぎない考えを持っている。そういう観客が何も分かっていないのだと。
― では、セカンドスコアは何から出来ているのでしょうか。独自の意義を持ち、点数にも数えられ、いずれにせよ扱いとしては…
マクシム:ええ、いずれにせよジャッジの武器のままですね。
― ご自身ではセカンドスコアをどの程度シリアスなものとして受け止めていますか?
マクシム:得点の理論は総じてとてもよく考え抜かれたものです。ただ、その理論を単に深く考えなかったり、理解する努力をしない選手が多いんです。たとえば、セカンドスコアには振り付けという項目があります。ところが、多くのスケーターは自分の振付師なんて持っていません!そんな得点を一体どこから持ってくるのか?
実は先日、ある男子シングル選手とこんな会話をしました。彼はクラシックを滑っていて、僕もその曲を元のパートナーとやったことがありました。そこで彼に「わからないよ、君はクラシックをやってるけど、いったい何を演じてるんだ?」って聞いたんです。すると彼は「機械仕掛けの人形を演じてるのさ」と。「人形って、フーリガンにでもなる気か?(?)」と言ったら、「モダニズムさ」と返されて。そう、僕にはモダニズムが見えないんです!セカンドスコアが見えないんです。もし僕がテクニカルジャッジだったら、このプログラムには多くても(※10点満点の)3点しかつけなかったでしょうね。
― お言葉を返すようですが、果たしてその根拠は十分なものでしょうか?ただ「モダニズムが見えない」だけでは?
マクシム:ええ、僕はジャッジで、人間で、モダニズムが見えなくて、このプログラムに(※5段階評価の)2をつけるわけです!でも、隣に別のジャッジが座っているとしましょう。彼はその選手のコーチに好感を持っていて、25年来の付き合いがあって、そしてこう言うんです。「うん、とても良いじゃないか。モダニズムだ」
― でも、それこそ悪名高き主観主義ではありませんか!あなたの側から見たこと、つまり親しいジャッジの側から見たことですよね。
タチヤナ:そのとおりです!あなたの仰るとおりです。これは分かりやすい例なんです。ですから、セカンドスコアは常に論争の的になるでしょうね。
― でも、「モダニズムが見えない」という反動の可能性を抑えるために、セカンドスコアをもっと具体的に算出することはできますよね。実際的な評価は得点につながります。
マクシム:ええ、音楽をただ選ぶのではなく、音楽と完全に調和し、音楽の中に生き、その様相や最近の演技すべてを研究しなくてはいけません。問題にプロフェッショナルにアプローチするわけです。『グラディエーター』を選んじゃいけないんですよ。ヤグディンが素晴らしい演技をしているのに、その“ミニチュア”を滑って、それをモダニズムと称してはいけないんです!モダニズムにだって内なる論理があるはずです。
― そのプログラムについてですが、私もスケーターから2通りの視点を聞いたことがあります。ひとつは、たとえば『カルメン』のような一定の音楽に行き着くまで成長を待つ必要があるという考え方。もうひとつは、その逆に、できるだけ早く『カルメン』を滑り始める必要があるというものです。自分自身に取り組み、カルメンが自分の中に実際にまだ無い時点で、それを強制的に見るためです。
マクシム:それは不可能ですよ!技術的にも情感的にも準備が整っていなければ、プログラムを行うことはできませんよ。
タチヤナ:子どもっぽいというより、パロディ的なプログラムになる可能性がありますね。シリアスではないイメージを特に強調して…
マクシム:なにか面白く加工されたものを選ぶことですね。でも、完全にシリアスな『カルメン』をやるという話ですよね?絶対に間違っています。フィギュアスケートの周囲の世界にいるような選手たちの中から、そういう“聞き飽きた曲”みたいな概念が生まれるんでしょう。
― そうなんです、フィギュアスケート選手は聞き飽きた曲ばかり選ぶと言われているんです。
マクシム:じゃあ、客席で拍手しているおばさんやおじさんたちは、ビゼーの不朽の名作を聞き飽きた曲なんて言えるんですか?そんなことをどうやって言う決心がつくんですか?皆さんはどこにいて、作品はどこにあるんですか?クラシックは聞き飽きるものじゃありません。ただ選手が仕事をし切れないことはあります。そうすると、こんなふうに言われてしまう可能性が出てきます。「なんてひどい選手だ。神のような曲を選んでおいて、ひどい演技をして、こんなプログラムは気に入らない!」ってね。
― いや、曲がひどいという話ではなく、その曲があまりに頻繁に、あまりに多くの選手に選ばれているという話ですから。まさかほかに具象化できるイメージが無いというのですか?みんなが『カルメン』を滑らなくてもいいでしょう。
マクシム:そのとおりですが、そういったイメージはすでに歴史になっているんです。ボリショイ劇場へ『スワン・レイク(白鳥の湖)』を見に来た人が、「聞き飽きたチャイコフスキーを取り入れるとはどういうことだ、『ラムシュタイン』(※ドイツのメタルバンドのことだと思います)をバレリーナに踊らせろ!」なんて言いませんよね。ところがフィギュアスケートでは、僕たちが聞き飽きた音楽を選んでるって観客から言われてしまうんです!音楽を聞き飽きることはありません。音楽をひどく演じてしまうことはありますけど。ダンサーが音楽をダメにすることはあっても、音楽がダンサーをダメにすることはありません。
タチヤナ:それに、俳優が『ハムレット』を演じたいと夢みるように、フィギュアスケーターももちろん夢みるんですよ、『カルメン』を滑りたいとか…
― ご自身が夢みている役柄はありますか?
タチヤナ:はい。
マクシム:僕はずっと『スワン・レイク』を滑りたいと夢みていました。ベレズナヤ/シハルリドゼの時代、僕はこのペアのファンでまだ鼻たれ小僧だったけど、その頃から『スワン』を夢みてたんです!でも、どうしてもこの曲を選べなかった。だってベレズナヤ/シハルリドゼよりも良い演技ができるとは到底思えなかったから。去年『ブラック・スワン』をやると決めたき、それはあくまでも『ブラック・スワン』であって『スワン・レイク』ではありませんでした。映画館でこの加工作品を聴いて、自分にこう言い聞かせたんです。「僕はみんながやっているプリンスは滑らない。僕はロットバルト(※悪魔)を滑ろう」って。そうしたらみんなが「おお、これはスーパープログラムだ!」って言ってくれたわけです。
自分の力を理解して、理想を探す必要がありますからね。もし『グラディエーター』を選んだとして、戦士を滑れないなら皇帝を滑ればいいんです。もしカルメンを滑れないならミカエラを滑ればいいんです。
タチヤナ:それから、観客が音楽と私たちの身振りを理解できないというのもよくある問題です。エレメンツとエレメンツの間には、振り付けやイメージを掘り下げるための時間がほとんど残っていません。
マクシム:ええ、僕たちは、例えば『ロミオとジュリエット』を滑ったとき、バレエからすごくたくさんのものを取り入れました。最後に2本の指を突き上げて永遠の愛を誓うんですが、これはバレエの伝統的な振りです。ところが、後で報道やフォーラムを読んでみたら「あれは2位を示していたのか、それとも勝利を示していたのかどっちだ?」なんて書かれていて。ああ、ロシアの皆さん、分かってませんね、黙っている方が良いのに。そうすれば賢い人で通せるのに!
僕たちはいつもこんな風にプログラムにアプローチしています。必要な振付師と練習して、イメージをゼロから習得していくんです。今やっている『ゴッドファーザー』のブルースをつくるときは、アメリカ人のところへ行きました。そのアメリカ人振付師は僕に、アメリカにいるイタリア人のように、そういうマフィアのように振る舞うよう求めました。そこで僕はリンクへ出て、自分が思い浮かべるペルミ(※トランコフの出身地)の若者を、役立たずな男を滑り始めました。すると彼女はこう言うんですよ。「いったい何をやっているの?あなたが何を表現しているのかさっぱり分からないわ。アメリカにいるイタリア人マフィアに見せたいなら、こうしなくちゃ」って。
僕にはすごく大変でした。気違いみたいになって、荒れ狂いましたよ、だって僕にはぜんぜん感じられないし、できないんですから!ただ、単純な道を行くことはできたんですよ、ターニャ(※タチヤナの愛称)の髪をアレンジして、キスを右左に分けてするというね。でも、そういうのが無くて!(※最後の2文はよくわかりませんでした)
タチヤナ:こんなふうに練習を積んできて、「ところであのペアはなぜこんなにコンポーネンツの得点が高いの?彼女たちは引き上げられてるわ!」なんて声が聞こえてくるのは決して気持ちの良いものではありません。ところが、皆さんは私たちの演技を比べています。問題はもはや誰が転倒したかではなく、誰がしなかったになっています。(※ここも最後の2文はよくわかりませんでした)
マクシム:僕たちはみんなから「そんなに素早く飛び立つ(離氷する)秘密はどこにあるのか?」と聞かれます。僕たちはただ違うアプローチをしているだけで、より現代的に、プロフェッショナルにやってるんです。
(つづく)
<自習メモ>
зачасту'ю частоの口語
сойти за кого-что (似ているので)…として通用する
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