三者同盟~14歳でアイドルになれる~(中)
スヴェトラーナ・ヴェレテンニコワは、リーザにさらに注意を向けるようになった。二人は試合で何度かベルゴロドへ来ていた。そこでリーザを見かけたのがアレクセイ・ミーシンだ。自分の生徒に取りこそしなかったものの、記憶にはとどめた。リーザの高いジャンプを気に入った。そして翌年には、その女の子と一緒に仕事をしないかとスヴェトラーナ・ヴェレテンニコワに声をかけた。こうして、グラゾフとペテルブルクとを往復する長い物語が始まった。
「彼女たちは2週間やって来て、ホテルか、ムージェストヴァ広場にある寄宿舎に泊っていた」とミーシンは話す。「トレーニングとトレーニングの合間の時間が長いときは、リーザはここで一日中うろうろしているか、いったん宿へ帰ってまた戻ってくるかどちらかだった。寄宿舎は街の反対側の外れにあり、1日(往復で)4~5時間かかる。帰路につく頃には、彼女は半死半生の状態になっていた。それに、当時の彼女たちにはお金もなかった。これは私にジェーニャ・プルシェンコ、アレクセイ・ヤグディン、アレクセイ・ウルマノフのことを思い出させる。彼らもまた、私の下でトレーニングを始めた頃は生活が大変だったからだ。スヴェトラーナ曰く、リーザとサンクトペテルブルクへ着くやいなや、お金が足りず、チョコレートを買ってやることもできない時もあったそうだ。彼女たちと一緒に仕事をし始めて、私は資金面を含むあらゆる点で支援をすることになった。フランスの試合へ行かせ、ホテル代、飛行機代、滞在費を支払い、宿を取ってやった。しかし、私はそれを無駄ではないと感じていた。(スヴェトラーナ)コーチも、(リーザ)選手も、強い責任感を持ってよく練習し、熱心に私に応えてくれた。その後リーザを支援してくれたのが、私の友人であり協力者の実業家ミハイル・クズネッツォフだ。彼はロシアのメセナの伝統を引き継いでいる人物で、数年間にわたって彼女の衣装も、滞在費も、交通費も面倒を見てくれた」
古い学校
トゥクタミシェワの出現で、アレクセイ・ミーシンには一人ではなく、二人の生徒が同時にできた。スヴェトラーナ・ヴェレテンニコワはリーザと別れなかった。
「そう、このような協力体制はとても珍しい。ふつう、ある人間がどこかからやって来た場合、最初のコーチは視界から消えてしまうものだ」とミーシンは説明する。「しかし、スヴェトラーナ・ミハイロヴナはとても必要だった。リーザはここへ来ると、テクニックの修正に関する準備的な練習をたくさんやらなければならなかった。そして、彼女たちはそれをうまくやった。選手も、コーチも、新しいテクニックの基礎を完璧に習得した。これが我々三者同盟のいちばんの業績だと思う。もちろん、リーザのような選手が現れたことは非常に重要だが、さらに重要なのが、最新の指導法をマスターしているコーチがいるということなのだ。リーザと仕事をするにあたって、各人が自分のニッチを持っており、それを埋めている。重要な人間とそうでない人間とに分け隔たれることなく、調和のとれた仕事ができている。私のレベルあるいは年齢のコーチには、自分の知識と経験を人に伝える義務がある。もう40年以上この仕事に携わっているのだから」
私たちは『ユビレイニー』スポーツセンター内の、アレクセイ・ミーシンの書斎にいる。もう長い間、彼はここで生徒たちと仕事をしている。2006年、サンクトペテルブルクにフィギュアスケートアカデミーがオープンしたが、二人のコーチ ―― アレクセイ・ミーシンとタマーラ・モスクヴィナ ―― は、慣れ親しんだ場所を棄てることを拒んだ。ミーシンの書斎からは、リンクを臨む素晴らしい眺めが広がっている。小さな部屋は快適だ。PCテーブルにはノートパソコンの避難場所が、棚には本が、壁には写真が掛かっており、そこには生徒たちや、フィギュアスケート界の大物たちに囲まれた書斎の主が写っている。ソファのスペースもある。リーザと、やはりミーシンの教え子であるアルトゥール・ガチンスキーは、トレーニングの合間にそこで休むのがお気に入りだ。トゥクタミシェワが言うには、家へ帰ってまた戻ってくるよりも、2時間眠って過ごす方がいいそうだ。
リーザは寡黙で、我慢強く、歳に似合わず察しが良い。
「スポーツ選手は成長が早いのだ」とアレクセイ・ミーシンが説明する。「彼らはその専門分野における出生から最盛期まで、そして、避けては通れない引退までのサイクルを経験する。これは人生の縮図と言える。だから、スポーツ選手が普通の生活に入るときには、それまですでに生きて経験してきたモデルを、スポーツのモデルを持っている。リーザは今、きれいな女の子になりたい、男の子たちに気に入られたい、チャンピオンになりたいと望んでいる。何のチャンピオンか。地域か、ヨーロッパか、世界か、それに意味は無い。チャンピオンになりたいという願望に等級差は無い。リーザの長所は、短所が無いという点に帰結する。驚くべき素質と多面的な才能を持っている選手でも、ひとつ何かが足りないということがよくある。素晴らしい船でも、ひとつ小さな穴があれば沈む。選手にとってのそれは臆病だったり、弱気だったり、芸術性が足りなかったり、ある種のエレメンツや最大回転数のジャンプができなかったりということかもしれない。最も重要な才能は、こういった穴が無いということに帰結するわけだ。トゥクタミシェワの最大のライバルは彼女自身だ。私は当時のジェーニャ・プルシェンコやアレクセイ・ウルマノフにも同じことを言っていた。『自分のするべきことをしなさい。そこでどうなるか見てみよう。いちばん恐ろしいライバルであり敵は、お前自身なのだから!』と。もしも彼女が成功によって頭がやられてしまったり、でっぷり太ってしまったり、もうこれが最後と試合に出ようとしなくなったり(?)したらどうしようか!?だが、私は大きな心配はしていない。何かメダルの計画を立てているわけでもないが。そうするものではないからだ。メダルの計画ではなく、技術を常に進歩させる計画を立てるべきだ。より良いジャンプを跳び、スピンをし、もっと優美に、忍耐強く、力強く、勇敢になること。準備とはこういうものであって、『今年はこの順位を取って、来年は…』というものではない」
(つづく)
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