<プルシェンコのストーリーは明快(中)>ミーシン
ジュベールは確かにひとかどの選手で、我々に愉快でないものをもたらすかもしれない。それは何か?4回転のコンビネーションジャンプとトリプルアクセルを跳ぶことだ。ジュベールは才能豊かだ。高く跳ぶ。強靭な肉体を持っている。しかし、トップスケーターたちの中ではごく普通と言えるだろう。彼は長期間試合に出ていなかったため、シェフィールドでは危ないかもしれない。手負いの獣はとりわけ危ない。
ジュベールの他にも、スペインのフェルナンデス、チェコのヴェルネルとブレジナなど、強い選手たちがいる。現ヨーロッパチャンピオンであるフランスのアモディオだが、彼の通俗性には少し飽きてきた。様々なプログラムを演じる努力をしなくてはならない。
― プログラムの音楽とテーマとを調和させることは、どれほど重要なのでしょうか。新米のスケーターに「氷の上で誰を演じているのか」と質問すると、答えに窮していることがありますが。
カナダのチャンはロドリゲスのコンチェルトで滑っているが、彼にもしその質問をしてみたら、自分が誰を演じたのか答えられないのではないだろうか。その逆がスペインのフェルナンデスで、リゴレットに、侯爵に…。何を、何のために演じるのか、コーチや振付師がそれを説明する義務を負っているのは言うまでもない。ただ、どうやらあなたはコーチの役割や影響力を過大評価しているようだ。人間の中に秘められているものの約80パーセントは、その人の芸術的感覚、ものの見方、遺伝的な素質次第だ。プルシェンコにカリスマ性を教えたのは私だと思うかね?ちがう。彼はそれを持って生まれてきたのだ。しかし、ジェーニャが長いブランクを経て一回、二回とリンクへ戻ってこられたのは何故なのか、こちらは話が別だ。それは、カギとなる要素 ― ジャンプ ― に誤りがなかったからだ。私がコーチとして彼に正しく教えたからだ。このジャンプの誤差を、選手に練習させてコンディションを高く保たせることで埋め合わせている専門家も多い。だがプルシェンコはそういうものと格闘する必要がなかった。最初からすべてを正しく行っていたのだから。
― では、コーチとは、多分に「優れた“技術屋”」と言い換えられるでしょうか。
コーチは正しく教える義務を負っている。1973年、私は回転こそがジャンプの基本であり、主要な要素であるという事実に辿りついた。それまでは、2回転ジャンプを3回転にするには、より高く跳ばなければならないと考えられていた。しかし、そうではなかった。必要なのは速くひねることだ。回転をつくる能力と、それを移動させる能力の2つを発達させることだ。私は一連の特別な練習方法を考案し、今では実際に皆がそれを用いているのだが、考案者が私であることには誰も言及しない。それはちょうど、ライキンが長いあいだ素晴らしいモノローグを演じていて、ジヴァネツキーの筆になるものだったにも関わらず、そのことを誰も知らなかったのと同じだ。私はアメリカで何度かセミナーを行ったが、そこに参加していたある女性コーチのことを覚えている。彼女はその後ドイツのオーベルストドルフへ行き、ミヒャエル・フースコーチの元を訪れた。彼がトレーニングを行う様子を見て、こう尋ねた。「あなたもミーシン式でやっているのですか?」と。彼は質問の意味すら分からなかった。なぜなら、私の仕事の生産量はごく当たり前のものとして受け止められているからだ。
(つづく)
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