<プルシェンコのストーリーは明快(上)>ミーシン
ミーシン教授のユーロ(ソチ)展望を先にご紹介したいと思います。
ダイヤモンドの話はhttp://akoako.at.webry.info/200906/article_4.html ">「診断は“コーチ中毒”(2)」にも出てきました。
今回も教授一流の比喩が満載で、難しいけれど面白いです^^
2012年1月13日
オリガ・エルモリナ
ロシアのフィギュアスケーターたちは何を持ってヨーロッパ選手権に臨むのか、アレクセイ・ミーシンコーチが「モスクワ・ニュース」に語った。
(前文略)
― アレクセイ・ニコラエヴィチ、エフゲーニー・プルシェンコがロシア選手権に出場し、大会終了後さまざまなコメントが出ていますね。しかし、彼の試合への準備についてはどうなのでしょうか。
プルシェンコに関するストーリーは、窓ガラスのように透明ではっきりと見えている。彼はシェフィールド(※ヨーロッパ選手権の開催地)へ行く。本来は、国際スケート連盟(ISU)が定めるランキングポイントを持っていなければならなかったのだが、我が国のフィギュアスケート連盟が手際よく問題を解決し、必要な許可を得たので、この議論は終わった。プルシェンコはヨーロッパ選手権に出場する。妥協なしに。
ジェーニャのコンディションについて言えば、これほどフィジカル面の準備が出来ていたことは未だかつてない。目標を定め、非常に集中してトレーニングを行っている。スピンに(※動きなどの)つけ加えを行った。なぜかは言わないでおこう。だが、それと同時にまだ弱い点が残っている。それについてもやはり言わないことにしよう。きっと他の人が指摘するだろうから。プルシェンコの滑りは、その情熱性と優雅さとで際立っている。ジェーニャにはカリスマ性がある。彼は会場全体を掌握する。ところが、現在はこれがほとんど必要のないものとみなされているのだ。まるで石鹸を腹いっぱい食べたような、燃え上がるもののない滑りをしても、気がつけば結局メダリストになっている。
― プルシェンコのほかに、あなたのもうひとりの生徒アルトゥール・ガチンスキーも出場します。アルトゥールは目下、どういった点でジェーニャに及ばないのでしょうか。
宝石にまつわる歴史には様々なダイヤモンドが登場する。シャー、グレート・ムガール、コー・イ・ヌールなど数多くあるが、だからといってこれらのダイヤモンドの価値はまったく下がらない。偉大なものや意義深いものが全て同じとは限らない。才能豊かな人間についてもこれと同様のことが言える。
プルシェンコとガチンスキーは並外れたフィギュアスケーターだ。しかし、アルトゥールチクの場合はもう少し時を待たなくてはならない。肉体的、美的側面においてまだ十分に強くなっておらず、まだ自分に自信を感じていない。私がコーチとして経験が浅かった頃は、しばしばセンセーションを起こすことを急ぎ、何が何でもメダルを勝ち取ることを目標に置いてきた。だが年月とともに、それぞれの選手にはそれぞれ違ったアプローチが必要だということが分かって来た。彼らは型枠どおりに成長するわけではないのだから。そう、現時点ではプルシェンコの方がカリスマ性があり、逞しい肉体を持ち、観衆を支配できる。彼はすでに勝利の味を知っており、それが自信につながっている。ガチンスキーはもっと細やかでソフトだ。まだジェーニャのような芯がない。しかし、彼らは基本的に異なっているのだ。自分でリンクを泳ぎ、そこにイメージを創り出すのがアルトゥールだとすれば、観客を自分の演技に引きずり込み、誘い込むようにしながら、イメージを客席に放り投げる(投げ捨てる)のがプルシェンコだ。
この二人の選手はとても似ているとか、ガチンスキーはプルシェンコのクローンだとか、悪意を持って言う人々がたくさんいるが、私はそういう声にはまったく賛同できない。ジェーニャとガチンスキーにはひとつも同じ動きは無い。それに私はガチンスキーのために、違いを強調し、見せるための音楽を特に選んでいる。私の生徒たちの間に唯一似通った点があるとすれば、それはジャンプのテクニックだ。リーザ・トゥクタミシェワも同じ跳び方をする。だが、リーザのことはまた別の話だ。彼女も才能豊かなスケーターだが、いわゆる「パーソナリティー」をまだものにしていない。
(つづく)
<原文>
http://mn.ru/sports_figure/20120113/309660184.html
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