<リンクで泣いたことはない(上)>エリザヴェータ・トゥクタミシェワ
さて、少し古いのですが、ずっと気になっていたエリック・ボンパール杯直後のトゥクタミシェワ選手とヴェレテンニコワコーチのインタビューを訳してみたいと思います。別の記事ではミーシン教授が「10年後には女子も4回転を跳ぶ」と話していますが、いつか3回転半と4回転が入った女子の演技を見られる日が訪れるのでしょうか!?
2011年11月22日
アンドレイ・シモネンコ
リンクで泣いたことはない
エリザヴェータ・トゥクタミシェワのコーチは著名なアレクセイ・ミーシンだと思っている人が多いだろう。しかし、実際にこのフィギュアスケーターをグラゾフという小さな町からトップアスリートの世界へと導いたのは、スヴェトラーナ・ヴェレテンニコワだ。今シーズンのシニアグランプリ・シリーズで2勝した14歳の少女。そのメイン・コーチを今日まで務めている。R-Sportのアンドレイ・シモネンコ記者がまず若きチャンピオンに、次にその稀有な才能を見出したコーチに話を聞いた。
前編 エリザヴェータ・トゥクタミシェワ
― リーザ、あなたはパリで表彰台のいちばん高いところに立ちました。カロリーナ・コストナーやアリッサ・シズニーのような選手を抑えたわけですが、つい最近まで彼女たちをテレビで観ていて、一緒に戦うのを夢見ていたことを思い出しませんでしたか。
いいえ、正直に言うと、そういうふうには全然思いませんでした。単純にフィギュアスケートをテレビで観ることがほとんどなかったからです。憧れの選手や理想の選手もいません。というのは、グラゾフでスケートを始めてまだピーテル(※サンクト・ペテルブルクのこと)へは行っていなかった頃、私は自分で自分のために滑っていて、誰かをお手本にしていたわけではなく、スケーターのことは誰も知らなかったんです。フィギュアスケート界のことを知らなかったわけです。サンクト・ペテルブルクへ来るようになってから試合を見始めて、「○○選手だ」と分かるようになりました。
― 難しいジャンプを覚えるのと、表現の練習をするのとどちらかが面白いですか。
技術面の練習をする方が好きです。飛んだり跳ねたりするのが大好きです。だから、新しいジャンプを練習するのは本当に楽しいんです。
― あなたは14歳ですでに全種類の3回転ジャンプを軽々と跳び、さらに、ほとんどの選手が引退までにものにできないようなコンビネーションジャンプをしますが…
跳ぶことが大好きだからこそ出来たんだと思います。いつも練習の最後まで、難しいジャンプやコンビネーションジャンプと格闘してきました。スヴェトラーナ・ミハイロヴナ(ヴェレテンニコワ)から「今日はもう十分よ」としょっちゅう止められたぐらいです。でも私は、回転不足や不十分な点を修正できないままリンクから上がるのが嫌だったんです。何かを練習し始めたら、すぐに全部できるようにならなくちゃいけないんです。もし出来ないときは、出来るようになるまで練習をやめません。
― その調子でもうすぐ4回転ジャンプも跳び始めるのでは…
もうすぐ始めますし、練習ではもう試しています。4回転トゥループです。基本的には3回転半のアクセルとそれほど違いはありません。トリプルアクセルはもう跳んでいます。
― まさかすでに4回転から抜け出した(※出来るようになった?)のでは。
いいえ、まだです。4分の1回転不足していて。でも今きちんと直しているところです。まだジャンプの感覚がないだけです。時間の問題だと思います。
― 難しいジャンプが決まる瞬間は美しいです。でも、若い女性が氷の上で転倒すると、観客はたいてい心の中で身震いしてしまいます。習得の過程でどれだけ転倒しなくてはならないか想像すると…
いいえ、転ぶのは恐くありません。最初の頃に恐さを克服する必要があるだけです。いちど克服すれば、その後は転ぶのがずっと楽になります。2回目、3回目、4回目というふうに…もうジャンプの体勢に入っても怖ろしくはなくて、転んでも転んでもそれほど大したことじゃなくなるんです(※この一文の訳は怪しいです)。後になって、転倒の衝撃をやわらげる特製のクッションをつくってもらいました。今ではジャンプが恐いということは全くありません。何回転でも大丈夫です。
― その恐怖を最初に克服したときのことを覚えていますか。
そうですね、正直に言うと、最初から恐怖はなかったように思います。私は一度もリンクで泣いたことがないんです。ある日、パパがリンクサイドに立って、私が滑るのを見ていた時のことを覚えています。私はどんどん進んで、進んで、突然つまずいて、うつぶせに倒れて、氷に頭をぶつけたんです。起き上がってパパの方を見ると、ほとんど気絶しそうになっていました。私の方は、おでこをさすってまた進み始めました(笑)。もちろん痛くないわけじゃありません。痛いです。でも私は起き上がって、氷を払い落して、何事もなかったかのように滑り続けるんです。
― ご両親は試合を観に来られますか。
故郷のグラゾフで試合に出ていた頃は来ていました。今はママがインターネットで私の試合を見ています。ライブで見ているのか録画なのかは分かりませんが。
― 両親や友人が観戦に来るのを好まない選手もいますよね。選手本人も緊張してしまい、応援する側も緊張させたくないと思いますから。
いいえ、そのことについては何だかいつも冷静でした。友人が観客席にいるといつも嬉しく思います。応援は私にとって大切です。観客の皆さんに快く受け入れてもらえると、私は突き動かされて、気合が入るんです。本番前は観客に気を取られないようにする選手も多いですが、私は逆に、大声を出したり叫んでもらったりする方がいいです。会場が満員だと、本当にとても心地よく感じます。
― そんな満員の会場で友人をうまく見つけられるのですか。
ええ、ここパリでフリープログラムを滑るときも声援が聞こえて、友人の声だとわかりました。私を応援しに来てくれたなんて素晴らしいわと思いました。その後、彼女たちの姿も見つけて、とても嬉しくなりました。
― それなら、滑走前に客席の中から知っている顔を見つけ出して、特にその人たちのために演技をしてみるということはありませんか。
いいえ、特にそういうことは出来ません。大勢の中から誰かを数秒で見つけ出すというのは…なので、私が滑りの中で強調したりアクセントを置いたりというのは、すべてジャッジに向けて行います。これが正しいやり方なんです。
― グランプリ・シリーズで2勝した今、あなたにはグランプリ・ファイナルと、そして春には世界ジュニア選手権への出場が控えています。どこにアクセント(ポイント)を置くというようなことはもう考えていますか。どちらの試合が大切ですか。
いいえ、どちらの大会も大切です。今シーズンは2つの部分に分かれている感じです。新年まではシニアの試合のシリーズで、その後はジュニアです。世界ジュニアで優勝して、国際級スポーツマスターの称号(※ロシア政府公認の称号だと思います)が欲しいです。基本的にどの試合でもちゃんとした演技をしなくてはいけません。
― リーザ、あなたにとって試合とは、単にリンクとスケートだけですか。それとも開催地の街を見たりすることもできるのでしょうか。
もちろんリンクだけじゃありません。パリでの1日目は街中を歩いて、観光スポットを全部まわりました。
― パリで特に気に入った所はありましたか。これまで訪れた中でもお気に入りの街になりましたか。
ぜんぶ気に入ったので、特にどこがとは言えません。パリには美しい家並みや通りなど、サンクト・ペテルブルクを思い出させるものがあちこちにあります。いま私の好きな街は3つあって、パリと、ピーテルと、そしてニースです。
(つづく)
<原文>
http://sport.ria.ru/interview_sport/20111122/494991370.html
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