<ミーシンコーチはおもしろい人>トゥクタミシェワ
子どもらしさと分別とが同居しているという感じでしょうか…
ミーシン教授を怖がってはいないようでホッとしました(笑)
2011年4月13日
オリガ・エルモリナ
ミーシンは良いコーチで面白い人
ロシアフィギュアスケート界の希望エリザベータ・トゥクタミシェワは
ライバルを羨んではいない
エリザベータ・トゥクタミシェワは、年齢制限のため、モスクワで開かれる世界フィギュアスケート選手権には出場できない。この才能あふれる若い選手は、エフゲーニー・プルシェンコを育てたアレクセイ・ミーシンの指導のもと、ソチ五輪に照準を定めて準備をしている。シーズンを締めくくる大会を前に、14歳のスケーターがチームでの自分のポジションについて話してくれた。
― アレクセイ・ミーシンコーチは、あなたの準備のスピードを上げる必要はないとお考えです。同い年のアデリナ・ソトニコワがすでに二度ロシアチャンピオンになって、その陰に隠れているのは悔しくないですか?
もちろん悔しいです。少しイライラもします。でも、トレーニングをすること、待つこと、自分を信じることが必要です。
― でも、あなたを見ていると、自分に自信を持てない選手という印象は受けませんが?
見せないように努力しているだけです。と言っても、リンクへ出る前にふるえることもあります。でも、それを誰かに見られたくないんです。
― あなたはグラゾフ出身で、そこには強いフィギュアスケート学校はありません。いったいどんな経緯で氷の上へ運ばれてきたのですか?
どうだったのか自分ではわかりません。4歳か5歳のときなんですが、ママとパパと2つの説があるんです。私の両親はスポーツをしています。パパはサッカーのコーチで、それまではスキーの等級を持っていました。ママはバレーボールをやっていて、今は小中学校で代数と幾何の先生をしています。5年生から9年生まで、ママは私のクラス担任でした。
ママの説によると、自分の生徒の中にフィギュアスケートのコーチ、スヴェトラーナ・ミハイロヴナ・ヴェレテンニコワの娘さんがいたそうです。ある日そのナスチャが家で私の話をして、それでコーチが私をリンクへ連れて来るようにすすめたんだとか…でもパパの説はぜんぜん違うんです。夏にスポーツ合宿があって、そこへコーチとして参加したとき、私を一緒に連れて行ったんだそうです。そこでフィギュアスケートを始めたばかりの子と親しくなって、それでこのスポーツを選んだと言うんです。
― そしてミーシンコーチがあなたに目をつけた?
ベルゴロドに「ミーシン杯」という名前の試合があるんです。私はコーチに連れられて出場しました。9歳のときで、私は1位になりました。フリープログラムが終わって、嬉しくて、幸せな気分で、リラックスしていたとき、突然スヴェトラーナ・ミハイロヴナが走ってきたんです。「服を着て。トレーニングに行くわよ。ミーシンが来るの。あなたを見たいそうよ」って。
― どういう人なのか知っていましたか?
その頃はフィギュアスケート界の人を誰も知りませんでした。なぜそんなことをするのか、何のためなのか分かりませんでした。リンクへ出て、ただトレーニングをして、エレメンツをやりました。終わってからミーシンコーチが「電話をするから待っていなさい」と言いました。そして次の日に電話がかかってきて、「ピーテル(※サンクトペテルブルク)へいらっしゃい」と言われたんです。
― あなたはどんな反応を?
その時はたった10日間行っただけだったので、冷静に受け止めました。私は少し周りの様子を見ていました。そして心の中で「素晴らしいわ。プルシェンコと一緒にトレーニングができる」と思いました。結局、彼はトリノ五輪の後に引退してしまって、それを知ったときはがっかりしました。でもすぐに「何でもないわ」と思いました。アレクセイ・ニコラエヴィチはとても良い人で、ぜんぜん厳しくないとわかりました。コーチは経験豊かで、いつも選手のことを分かってくれます。ミーシンは良いコーチで、おもしろい人です。
― ペテルブルクでの生活ですが、最初の頃は大変でしたか?
とても大変でした。テクニックを全部変えることになりました。それだけでこの街を憎らしく思ったぐらいです。ピーテルへ行きたくなくて、スケートをやめることも考えました。でも、問題はトレーニングだけじゃなく、スヴェトラーナ・ミハイロヴナに監視されて生活していたこともありました。他の子たちはおばあちゃんや、おじいちゃんや、両親と一緒に来ていたのに…
― 彼らはわが身の不幸を嘆いたでしょうね(?)。
うん…でも、私は泣くのは嫌いなんです。ママやパパの前でも泣きません。泣くのは一人でいるときだけです。でも、色んなことをなんとか乗り越えてやっています。
― 他の選手たちと違うグループに分けられていることを、どんな時に感じますか?
正直言って今もわかりません。とにかくトレーニング、トレーニングです。朝1時間半、夜2時間。毎日です。私たちのリンクはグラゾフにあって、試合前になるとピーテルへ合宿に行くんですが、どちらにしても家にはあまり居られません。ジャンプは最初からできました。でも、自分がどうやって跳んでいるのかは説明できません。「どうやってジャンプしてるの?」という質問は嫌いです。行って、跳ぶ。素早く回って、着地する。これは私にとって、例えば息をするのと同じぐらい自然なことなんです。
ピーテルへ来るまで、私のプログラムは少しぎこちなく見えました。大きな街のスケーターと違って、グラゾフのリンクには振付師がいなかったからです。私が習ったのは、ジャンプと、(スケートで)前へ進むことだけです。今ではプログラムもあざやかになって、2人の振付師と一緒に練習しています。順調に進んでいますが、完璧さへの限界はありません。アレクセイ・ニコラエヴィチから、リンクへ出る時によくこう言われます。「どうしてそんなに固くなっているのか」って。今のところ、自分と他の人とは何かが違うとは感じないんです。きっと、そうですね、私はそういう性格じゃないんです。私は一緒に戦う選手のことを敵だとは思っていません。そう、人に対してすごくオープンなんです。仲良くするのが好きだし、仲良くすることができます。それに、私のことを好きじゃない人に対しても、その人が私に反感を持たないようにするんです。
― スポーツの世界でそういう性格だと、きっと厄介なのでは?
厄介です。私は子供っぽいおバカさんなんです。みんなが天使で、良い人だと信じてるんです。実際はそうだとは限らないのに。でも、今はまだ人を見分けることができません。変わらなくちゃいけませんね。
<原文>
http://mn.ru/sports/20110413/300996909.html
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