オクサナ・バイウルが帰国(下)
― あなたご自身の計画以外にも、チャリティーで「ブロードウェイ・オン・アイス」の公演に携わっていますね。どうやって時間を見つけるおつもりですか?
一見やることがたくさあるように思えるだけです。ごく普通のテンポですよ。大切なのは、チームのために良いマネージャーを選ぶことだけです。
― 休暇の方はどうですか?
それがどういうものなのか分からないんです(笑い)。最近、子どもの頃に合宿でクリミアや黒海へ行ったことを思い出していて、その黒海で休暇を取ることを夢見ています。オデッサへ行って泳ぐのが待ち遠しいです。ウクライナはとても暑くて、アメリカは涼しいですから(笑い)
― オクサナ、ドニエプロペトロフスクにはあなたのお祖母さまが住んでいますね。お祖母さまとはどれぐらいの頻度で会っていますか?今でも連絡を取っていますか?
もちろんです。祖母は80歳で、私はアメリカからほとんど毎日電話を掛けていますよ。彼女に必要なのはお金ではなく、気にかけてあげることが大切なんです。祖母は昔の人の暮らし方に慣れています。穀類と、小麦粉と、パンと、そしてときどきお肉があればいいんです。彼女には地元で支えてくれる人々や友人がいます。おばあちゃん自身がつくり上げたこのシステムを壊すつもりはありません。
― あなたの帰国について、お祖母さまは何とおっしゃっていますか?
祖母は私の仕事やビジネスについては心配していません。祖母には別の心配ごとがあって、私に食べたの?、眠ったの?、テレビは見たの?、デートに行ってきたの?と聞いてきます(笑い)。私は彼女の孫ですから、彼女にとって大切なのは、私が元気でやっていることなんです。
― ご自分の家庭を持つのはいつ頃の予定ですか?
今のところボーイフレンドはいません。
― ということは、あなたは人も羨むほどの花嫁候補ですね?
さあ、どれほどのものか分かりませんよ(微笑)。私とこれから知り合う男性たちは、連盟に私を取り上げられて、私にフィギュアスケートの仕事をさせるために、連盟に支払いをすることになりますよ(微笑)(※最後の一文はよく分かりません)
<人物―オクサナ・バイウル>
1977年11月16日、ドニエプロペトロフスク生まれ。1994年五輪チャンピオン、世界チャンピオン。
1994年に彼女が滑った「白鳥の湖」(チャイコフスキー)は、専門家たちからフィギュアスケート史上最高のプログラムのひとつと認められている。
オリンピック優勝後に渡米、16年間在住するも、ウクライナ国籍は保持していた。2010年、祖国へ帰国。
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