オクサナ・バイウルが帰国(上)
私も久々にブログに帰って参りました。
皆さま、ほんとうにご無沙汰しておりました。
またぼちぼち訳していきたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。
バイウルのツアー、日本にも来てほしいです!!
キャンデロロとジョイントとかダメでしょうか?!
2010年8月5日
ユリア・マモイレンコ
独立ウクライナ初のオリンピックチャンピオンは、祖国で多くの計画を立てている。子どもたちにフィギュアスケート学校を開き、自身のファッションブランドを立ち上げ、教育大学で最高教育を受けるつもりだ。帰国後初めてインタビューに応じたオクサナが、弊紙『コムソモリスカヤ・プラウダ』で語ってくれた。
「帰国は自分自身に対する義務だと思っています。なぜなら、かつてこの国が資金を投資してくれたわけですから。私をオリンピックに出場させ、優勝する選手に育てるための資金を。(※ここはかなり意訳です)」とオクサナは話す。「何よりもスケート靴を履いて立つことができる限り、私はウクライナでフィギュアスケートの仕事をします」
アメリカの生活に疲れた
「私が今やっていることは、見せびらかすためのものでも、センセーションを起こすためのものでもありません」とオクサナは続ける。私たちは首都のスケートリンク「リジンカ」で会ったのだが、彼女は16年前と同じようにチャーミングだ。明るく、魅惑的で、にこやかで、誠実だ。
私がウクライナを去った時は、ソ連の崩壊、母の死、オリンピックでの優勝と、たくさんのことがいっぺんに起きたんです。アメリカへ行くという決断をしたのは私ではなく、私のコーチでした。それが正しかったのか正しくなかったのか、今さら審判をするつもりはありません。過去に生きるのは好きではありません。それより今、私はウクライナにフィギュアスケートの学校を作りたいんです。子どもたちと仕事をするのは大好きです。子どもはとてもワクワクさせる生き物です(微笑む)。それから、スケーターとしての自分のショーについてですが、私は良いコンディションを保っていますし、最後の世界ツアーを行う計画を立てています。
― あなたのウクライナへ行きは、アメリカではどのように受けとめられたのでしょうか?
肯定的ですよ。ここが私の祖国で、私のルーツで、私の父と母が眠っている神聖な場所だということをみんな理解しています。ここにいてエネルギーが満ちてくるのを感じます。私に必要なのはインスピレーションを得られる状態でいることと、自分はあちこち渡り歩かないということを理解することです(※この一文はあやしいです)。
アメリカでの生活に疲れました。単調になり始めていました。私はフィギュアスケートの世界ですべてを達成し、頂点に達しました。アメリカでコーチの仕事に就くか、それとも故郷へ帰るのか決断しなくてはいけませんでした。
それと同時に、絆を切ってしまいたくはありません。私はウクライナとアメリカを結ぶ一種の橋になることができます。自分はリーダーの気質だと思っています。
(つづく)
<原文>
http://kp.ua/daily/050810/238362/
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