<自宅は生徒立ち入り禁止(3)>エレーナ・ブイアノワ
デニス
― デニス・テンは、どこからあなたのグループへやって来たのですか?
最初に彼を見たのは、オジンツォフで開かれた、子どもたちの何かの試合でした。デニスはまだ本当に小さくて、ジャンプはほとんど跳べませんでした。なのにとても芸術的で「姿になって」いたのものですから、彼を見ながら他のコーチたちと笑い転げていたんですよ。その時は彼と一緒に仕事をすることなんて、当然ながら考えていませんでした。だいたい私には外国人を生徒に取るという発想が無いのです。ところが後日、デニスの母親が突然彼を私のリンクへ連れて来ました。お互いに初対面の挨拶をしたとき、彼女は、自分の息子が私と一緒にやれるかどうかを単に見たいのだと言いました。
デニスは、ありふれた若者ではありません。とても思慮深い子です。彼を怒鳴りつけることはありません。だいたい男の子は、女の子のように叱りつけてはいけないんです。女の子はどうしても怠けがちなので、常に押し込んでやる必要があります。男の子は、原則として、自分が何をしたいのかを女の子よりも早く理解し始めます。
実を言うと、最初に一度デニスを怒鳴りつけたことがあったんです。私がどう釈明しても、決して私の目を見ようとしませんでした。両手で彼の頭をつかんで、無理矢理こちらを向かせなければなりませんでした。彼に慣れるのには時間がかかりましたよ…
― 彼とはもう何年ぐらい一緒に仕事をしているのですか?
覚えていません。6年か7年ぐらいかしら。トレーニングをするためにデニスと母親はモスクワへ移ってきました。父親の方はもうひとりの息子さん(お兄さん)とカザフスタンに残りました。小さい子どもにトレーニングの機会を与えるため、このような犠牲を払ったご両親には敬服します。
― なぜテンはロシア代表として滑らないのですか?
彼がやって来た時は、ロシアには彼と同年代の優秀な子どもたちがたくさんいたということです。その時に国籍変更の問題を面倒なく解決することもできたのですが、当のデニスを必要だと考える人間が私たちの国にいなかったのです。今では彼の祖国が彼に関心を示しています。
― 何年か経ったら、ゲデヴァニシヴィリの時と同じ状況がテンの場合も繰り返されるかもしれません。あなたはそのことを自覚していますか?
もちろんです。それが推察できるようなこともありました。フィギュアスケート界は、この関係において非常に苛酷です。他の強い選手を手に入れようとする人は常にたくさんいるのです。
様々な国
― 世界選手権のショートプログラムで、テンがノーミスなのに17位になったのは、コーチとしてショックではありませんでしたか?
そういうことはこれまでもたくさんありました。2シーズン前、デニスは初めて世界ジュニア選手権に出ました。よい滑りをしましたが、ジャッジにカザフスタンから来た男の子だと受けとめられ、それだけの理由でフリーに進むことができませんでした。今年(※この年?)はジュニアグランプリに初めて出場しましたが、やはり同じ理由でトップ3に入ることができませんでした。彼は新システムに「閉め出された」のです。スピンとステップでレベル1しかもらえなかったんですよ。それでもデニスはエキシビションに出場し、スタンディングオベーションを受けました。
その直後から、テンの受けとめられ方が変わってきました。グランプリ・ゴメリ大会で優勝し、ファイナルでは5位になりました。世界ジュニアでは3位まであと0.63ポイントでした。そこですでに日本やアメリカのマスコミから引っ張りだこでした。
いちばん恐ろしいのは、ロサンゼルスでテンがファイナルに入れない(※フリーに残れない?)ことでした。この大会でオリンピックの参加資格が決まるのですから。男子の試合が始まる前、私は「殺されていない」出場者が22名いると考えていました。もう長い間フィギュアスケート界にいる国々の選手たちのことです。そういう国と比較すると、カザフスタンなどいったいどれ程のものだというのでしょうか?
でも、ご覧のとおり、ほとんど「寝そべって」いた選手たちの中で、私たちはショートプログラムを勝ち抜きました。
― そういったすべてのことを、どうやってうまく彼に説明したのですか?
デニスが点数のことでイライラし始めたのを見て、私はとても厳しい態度で彼と話をしました。この状況の中、彼の力でできることは、ただ滑ることだけだと説明しました。自分の力を氷の上で証明することです。もし、もちろん本人が望めばですが、尊敬されたいと思うのならそうするべきなのです。そして、フリープログラムの演技が終わると、観客は立ち上がり…
最終グループの前のグループの選手がスタンディングオベーションを受けるなんて、見たことがありませんでした。私はテンをとても誇りに思いました。レーナ・ゲデヴァニシヴィリとの時はもっと簡単だったんです。彼女はただリンクに出て、他には誰もできないジャンプを跳んだわけですから。もうこのジャンプだけで、彼女は(※審判たちの偏見を)清算させたのです。私が教えている別の生徒、アデリナ・ソトニコワが12歳でシニアのロシア選手権で優勝したときも、実はこれと同じ状況でした。でも、男子の場合、とにかく全員がジャンプを跳びます。突然トップへ躍り出るのは、何のバックボーンも持たない者にとっては不可能なことなのです。
― あなた自身もこのような道を通ってきたのですか?
ええ。だから私もズークが歩んだ道を同じように歩いているのです。彼はよくこう言っていました。「凡人に時間を費やす必要はない。天才と仕事をするべきだ」と。彼は実際に正しかったですね。才能のある選手たちと仕事をする方が、いつもより興味深いです。そういう選手を見つけるのが難しいだけで…
(つづく)
<自習メモ>
отдать себе отчёт в том 理解・自覚する
со'бственно 実を言うと
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