<コーチ変更は私の独断>カタリナ・ゲルボルト
とっても“男らしい”人だと思いました。
他のコーチの元へ移ったのは
私の個人的な決断でした
(前文略)
― カタリナ、それにしても何故コーチを変えようと決めたのですか?
正直に言うと、昨シーズンの最初から、このことを考え始めていました。最終的に決めたのが5月だっただけです。自分の人生のすべてを変えたかったんです。私の個人的な選択でした。両親も含めて、周囲の大多数の人にとって、まったく予期せぬ出来事だったんですよ。
みんなにはモスクワへ着いてから電話をしました。ミーシンの元を離れ、スヴェトラーナ・ウラジミロヴナ・ソコロフスカヤのところへ移った、これからCSKA(軍中央スポーツクラブ)で滑ることになるって。パパとママは、最初はショックを受けていましたが、今は理解して、私の決断を受け入れてくれました。両親のサポートは私にとってものすごく大切なので、両親にはとても感謝しています!
― ミーシン夫妻とはどんなふうに別れたのですか?
ミーシン夫妻のグループを去るのはとても辛かったです。だって、まだ本当にちっちゃな子どもの頃からお世話になって、彼らが私をアスリートとして育ててくれたわけですから。タチヤナ・ニコラエヴナは、第二のママみたいな人でした。私は夫妻をとても愛しています!でも、人生には、最愛の人とも別れなければならないことがあります。子どもだって、早かれ遅かれ両親の家を出て行きます。二人が私を許し、いつかわかってくれますように…
私は、自分の人生とキャリアの何かを、どうしても変える必要があったんです。昨シーズン中はその場を動きませんでした。ミーシン夫妻に何か問題があったわけではりません。彼らは素晴らしいコーチで、素晴らしい人です。問題は、たぶん、私の内部にあるのでしょう。前へ進むために、何か外からのプッシュと、まったく新しい何かが本当に必要だったんです。
― スヴェトラーナ・ソコロフスカヤのグループに入りたいと申し出たのはなぜですか?
ミーシン夫妻のグループを離れようと決めたとき、私はコーチというだけでなく、身近で親しい人を探したんです。スヴェトラーナ・ウラジミロヴナのことはずっと前から知っています。彼女が自分の生徒たちとどんなふうに仕事をしているのか、どんなふうに会話をしているのか、また、仕事に対する全体的な関わり方を見てきました。そして、これこそが私に足りなかったものだとわかったんです。いま私たちは、まったく別のやり方、違う方針で仕事をしています。
― この1ヶ月間一緒に仕事をしてみて、どんな感じですか?
ほんと、素晴らしくて、とても気に入っています!私とスヴェトラーナ・ウラジミロヴナには共通の目的があって、それに向かって進んでいます。もちろん、とても疲れますよ。だって、こんなテンポと負荷には慣れていないんですもの。でも、今の私に必要なのはこれなんです。一日24時間練習したいぐらい!
オリンピックシーズンが目の前にあります。今のところ、すべて揃っています(?)。私たちは良いチームです。グループには、まだ小さいけれど素晴らしい女の子たちがいます。私たちはうまくやっていますし、合宿では一緒に生活しています。今は、まる1ヶ月フランスに来ていて、その前はフィンランドに2週間、ノヴォゴルスクに1週間いました。残念ながら、ソチの合宿には、上顎洞炎(蓄膿症)の手術をしたせいで参加できませんでした。手術後1ヶ月間は、気候の違う場所へ行くことを禁じられていたからです。
― オリンピックシーズンのプログラムは、もう用意できているのですか?
ええ、ぜんぶ出来あがって、仕上げをしているんですが、まだ構想を明かしたくありません。プランはたくさんあって、それをぜんぶ実現しようと試しているところです。どうなるかは、8月のテスト滑走で明らかになるでしょう。
昨シーズンは、私にとってとても難しい結果になりました。私の目標は、サマラのロシアカップ第1戦で「3回転-3回転」のコンビネーションを決めることです。それから、もちろん、ヘルシンキのヨーロッパ選手権に出ること。大切なのは6位になることではなく、自分の勝利(※自分に勝つこと?)です。新シーズンは、いろんなもの全てが良くなることを願っています。
2009年7月18日
「オールスポーツ」
<原文>
http://www.allsportinfo.ru/archive.php?id=29696&s_s=106&s_d=18&s_m=7&s_y=2009&b=0&l=40
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