<フィギュアスケーターは集団結婚を拒んできた(上)>アレクセイ・ミーシン
(2/18 p.m. 全体に手直ししました。多少読みやすくなったと思います)
ロシア連邦功労コーチのアレクセイ・ミーシンが、フィギュアスケートと自分自身について、バルト・インフォメーション・エージェント(BIA)にお茶を飲みながら語った。
私は落ち着きのない子どもで、しょっちゅう屋根や塀から落ちていた。そんな私が何かに集中できるようにと、姉がスケート靴をプレゼントしてくれた。私はそれを防寒ブーツにくくりつけ、最初の一歩を踏み出した。
私のいちばんの遊びはトラックにぶら下がることだった。我々は車の後ろについているフックにロープを引っかけて滑っていた。だが、私の楽しみは長くは続かなかった。ある時トラックの運転手が車から走り出てきて、私を叩きのめしたからだ。それで、極端なスケートは止めにして、本物をやろうと決めた。フィギュアスケートだ。
いま多くの人々が現代生活に不満を唱えているが、両親が私に話して聞かせてくれた時代に比べれば、今日の我々は良い生活をしていると思う。
父が語った次の話を、私は恐怖とともに思い出す。スモレンスク出身の父の義理の兄(弟)のことだが、あるドイツ人がラジオ受信機を修理する手助けをしたため、もう少しで検挙されるところだったのだ!
そして、我々家族はスモレンスクからトビリシへ移り、ナヒーモフ海軍兵学校の建物に居住した。そこは廊下を挟んで部屋が並んでおり、各部屋のドアのところには箱が置かれていた。我々のドアには本の入った小箱が置いてあった。
ある日、父が拘束された。後になって分かったことだが、誰かが小箱の中からブラヘル(※プロシアの陸軍元帥。ワーテルローでナポレオンと戦った)の本を見つけたのだった。祖国の敵の本を読み、生徒たちの間に広めたかどで、父は告発されたのだ!友人が助けに来て、父を牢獄から救い出してくれたのは良かった。しかしこの事件後、私は外出禁止となった。
私の最初の本は5万部発行されたが、裁断されパルプにされた。おそらく私も祖国の敵とみなされていたからだろう。
今の時代にはこのような問題はない。唯一、私の気を滅入らせるのは、多くの人々がゴミ箱をひっくり返していることだ。彼ら全員の食べ物と着る物をまかなえればよいのだが!
(続く)
2009年2月11日
ヴァレンチナ・カレロワ
<原文>
http://www.nevasport.ru/articles.php?id=16969
<自習メモ>
за чашкой чая お茶を飲みながら
крыша 屋根
забор 垣、柵、塀
грузови'к トラック
сза'ди 背後から、背後に
верёвка 縄、ロープ
обвинить кого-что в чём 告訴する、起訴する、非難する
книга была пущена под нож = book was pulped
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