<ロンドン五輪で勝ったらコニャックを飲むわ> エレーナ・イシンバエワ
最後のひと言がカッコ良すぎますね。さすが女王!!
すみません、タイトルの予告だけですm(_ _)m
2~3日中にUPしますので、しばらくお待ち下さい。
2007大阪世界陸上で生イシンバエワを見ていた私。
昨夜の世界新記録には本当に興奮しました!!
どんなにロシアチームの調子が上がらなくても、エレーナ・イシンバエワはファンにとっていつも頼りになる存在だ。月曜日、北京の地で、彼女は女子棒高跳びの第一人者であることを自ら証明してみせた。ライバルたちを打ち負かすには、わずか2回の跳躍―4m75cmと4m85cm―で十分だった。しかし、世界記録無しで去ることをイシンバエワは望まなかった。間もなく標示板は世界新記録となる5メートル5センチを告げた。
試合後、この五輪を制した世界記録保持者に話を聞くために、『イズベスチヤ』の特派員は長く待たされることになった。まずはロシア国旗を掲げてのウイニングラン、祝福、そしてドーピング検査や、その他あまり楽しくない手続きがあったからだ。
Q:今日は何がいちばん難しかったですか?
A:そうですね、自分の感情を保つことだったと思います。すぐにでも戦いに突き進みたかったのですが、他の選手たちの試技の間、待たなければいけませんでした。待ちくたびれましたよ。
Q:あなたはたった2回跳んだだけで勝利をおさめましたね。すべてがこんなに簡単に決まると予想していましたか?
A:正直言ってこれほど早く勝てるとは思っていませんでした。もちろん、跳躍そのものは難しくないと分かっていましたが。私はひたすら待ちました。ライバルたちが目を覚ますかもしれない、何か思いがけないことが起こるかもしれない…でも、結局何も起こりませんでした。
Q:オリンピック前の『イズベスチヤ』のインタビューで、勝利のためには世界記録の樹立が必要だと語っていましたね。予想は間違いだったということになりますか?
A:私はもっと個人的な見方をしていました。もし記録が出なかったら、おそらくこれほど幸せではなかったでしょう。オリンピックで5m5cmを出すことが私の一番の目標でした。イシンバエワといえば世界記録。皆さんそう思っていますよね。記録の無い私は、もはや私じゃないんです。
Q:あなたはいつものように3回目の試技で記録を出しました。これはもう儀式のようなものですね。
A:ええ、でも、技術的に大きな問題はありません。1回目の跳躍は、ポールの位置が遠かったんです。バーが胸に当たって落ちてしまいました。2回目は、私が倒れてしまっただけです。そして3回目は、コーチと相談して助走の位置を後ろにずらしました。そしてすべてが上手く行ったんです。
Q:たったそれだけですか?
A:ええ、それだけですよ…お話ししているとおりです。私の内側にあったものをうまくお伝えすることはできません。その感情は私を動揺させました。しかし私は自分自身を保ち、それを見せないように努力しました。
Q:オリンピックで世界新記録を出して勝つと決めていたのなら、なぜその前のローマとモナコで跳んだのですか?(※彼女は五輪直前のローマとモナコの試合で、それぞれ世界新記録を更新している)
A:他の選手たちにダメージを与える必要があったからです。彼女たちは最近いろいろ言ってましたからね(笑)
Q:コーチはあなたの勝利をどのように受けとめましたか?
A:4m85cmを跳んだ後、ヴィタリー・アファナシエヴィチ(・ペトロフ)は何事もなかったかのような素振りでした。私はすでに身体を緩めて笑い始めていたのですが、そのとき突然、彼の声が聞こえてきたんです。「どうしたんだ?平静になれ!まだ世界記録が残ってるぞ」と。私はその場に棒立ちになりました。「まさか!オリンピックに勝ったのに!?」 でも、言うことを聞いて、そのとおりにしようと思ったんです。
Q:前回のアテネオリンピックに比べてどうでしたか?
A:アテネの方が簡単でした。あの時もすでに良い記録を出してはいましたが、まだ多くの人が私の力を疑い、他の選手が勝つと考えていました。でも北京では私が優勝候補の筆頭でした。それに以前よりも有名になりましたし…
Q:中国でも?
A:ええ、ここでもです。私は選手村には行きませんでした。14日に北京入りして、自分の部屋にこもっていました。ただ、ときどき食堂へ出かけました。ハンチング帽をかぶって、黒いサングラスをかけて、「誰も気づかなければいいのに。じゃないとサイン・コレクターから逃げられないわ」と思いながら。でも結局、気づかれてしまいました。
Q:あなたのハンチング帽は、すでに世界中に知られていますよ。
A:そうですね、あの赤い帽子をかぶった私は、まるでベニテングダケのようだったのでしょうね。隠れたかったのに逆にみんなに見られて、笑われてしまいました。
Q:試技と試技との間、毛布か何かの下に隠れていましたね。暑くはなかったのですか?
A:暑かったですよ。汗がしたたり落ちていました。でも、次の試技を調整するためには一人になる必要があったんです。ご覧のとおり、有効だったでしょ。
Q:そのシェルターの中で何を考えていたのですか?
A:とにかく集中して、意識を一点に集めること。ローマとモナコで記録を出したときの跳躍を思い出して、それを再現するイメージを作ろうとしていました。
Q:手のイルカにはどんな意味があるのですか?
A:これは私のお守りです。以前コレクションしていたものが、今そのまま手元にあるだけですが、どちらにしても私には十分です。ほら見て。イルカのイヤリングに、ペンダント。
Q:イルカの水族館へ行ったのは、かなり以前のことですか?
A:いいえ、最近ですよ。オリンピック前、スイスチームと一緒に日本の福岡で合宿したのですが、その時に行きました。
(※ここのことかも?? http://www.fukuokabrand.com/comp_report_page/no_047.html)
Q:2012年のロンドンオリンピックまで跳び続けますか?
A:ええ、必ず。少なくとも、それが私の目標です。そこで3つ目の金メダルを勝ち取り、さらに世界新記録を出したら休もうと思います。
Q:お父さまの出身地ダゲスタン(※コーカサス地方にある共和国)では、アテネ五輪の勝利の後、あなたのためにコニャックの樽を用意してあるそうですね。いつ飲みに行く予定ですか?
A:ロンドンオリンピックが終わったら行きます。コニャックはもう少し寝かせておきましょう。こういう飲み物は、4年の熟成じゃ足りませんからね(笑)
2008年8月18日
ウラジーミル・パウシュ
<原文>
http://www.izvestia.ru/Pekin2008/article3119621/
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