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イリニフ<ソチでメダルを獲って2日間、ただ眠って泣いていた>

エレーナ・イリニフ選手のロングインタビュー。ソチ五輪からちょうど3年ということで、主にその頃のエピソードを語っています。一部抜粋&荒い訳ですがお許しくださいませ。
(そして、イリカツの復活はもうないんでしょうか…)




2017年2月7日
Match.TV

エレーナ・イリニフ

ソチでメダルを獲って2日間動くことができず、ただ眠って泣いていた


 (略)

 ― 団体戦金メダルと個人戦銅メダル、どちらの方が価値が高いですか?

 もちろん個人戦の銅メダルです。五輪チャンピオンというステータスはもちろんとてもクールだし、特にフィギュアスケートにあまり精通しておらず、そのシステムをすべて知っているわけではない人にとってはそうでしょう。でも、スポーツの功績から言えば、私たちの銅メダルの方がより価値があります。6~7組が同時に3位争いをしていました。そのすべての組に成功を収める大いなる可能性があったんです。

 (略)

 ― 個人戦では銅メダルをを目指して戦うと、ソチ入りする前から話していましたね。そして(団体戦で)初めてのオリンピック金メダルを獲って、もっとシリアスな戦いに割り込みたいとは思いませんでしたか?

 いいえ。あの時のメリルとチャーリー、あるいはテッサとスコットのような滑りをしている選手は今でもいないと思っています。彼らを見て分かったことは、これが基準だということです。アメリカ組はとてもテクニカル。テッサとスコットは私の生涯のアイドル。あれ以上に調和のとれた、あれ以上にロマンチックなカップルは想像できません。私は二人の仕事ぶりを見ました。二人の間柄を知っています。二人の人柄を知っています。それは、いつも見ていたいと思うようなものです。

 (略)

 ― 「自分は世界最高のメンバーのひとりだ」と突然理解したときの感覚はどうでしたか?

 私はそんなふうに思うことはできませんでした。通常の試合のようなメダル授与ではなかったんです。メダルを手渡されたのは2日後で、その間に少し感情がおさまっていました。それよりも、ずっとソチに居てくれたおばあちゃんとママのことを考えていました。授与式のとき、祖母と母は私からよく姿が見えるように立っていました。二人が喜んでくれているのが嬉しかった。

 ちなみにプログラムを滑った直後は、ただ息を吐き出したかったです。すべてうまく行きました。そして涙が出ました。授与式までの丸二日間、部屋からまったく出なかったのを覚えています。完全な荒廃状態でした。ママが電話してきて「お祝いをしなくちゃ」と言いましたが、私は動くことすらできませんでした。ただ眠って、泣いていました。

 ― その後どうやって練習に戻ったのですか?

 オリンピックの後、私たちには世界選手権が残っていました。ソチのエキシビションの前、テッサにワールドへ行くつもりかどうか聞いてみたんです。彼女の答えはきっぱりと「ノー!」でした。バンクーバー五輪直後の世界選手権が生涯最悪の出来だったのだとか。ソチの後は、その五輪に向けて準備してきた雰囲気の中にとどまることすら嫌だったそうです。南フランスへ行って、小さな家を借りて、本を読むつもりだと言っていました。

 私とニキータは、それとはまったく違う気分で世界選手権の準備をしました。モスクワへ戻って本当にすぐにリンクへ出たんです。最初の感覚をとてもよく覚えていて、自分たちは何でもできるんだと思えました。『ブルース・オールマイティ』()の映画みたいに。そんなことは人生で初めてでした。何か新しいものにトライしたり、新しいリフトを編み出したりしたかった。エネルギーに満ちあふれていました。まさに翼が生えたんです。

 そういうものが全部、カップル解消で失われてしまうのはとても残念でした(※編集注:ニキータ・カツァラポフはヴィクトリア・シニツィナと、エレーナ・イリニフはルスラン・ジガンシンとカップルを組んだ)。オリンピック後はすべてを一から始めることになるとよく言われます。私もそうなりました。あらゆる意味においてです。そういう感覚をつかみ、経験もしました。そして、別の人の手を取らなければならなかった。

 (略)

 ― ソチ五輪から戻った後は、何かを諦めるハメになったのではありませんか?頻繁に気づかれるようになって、姿を隠さなければいけなくなっているのでは?

 いいえ、まったくそんなことはありません。オリンピックで優勝して帰ってきた頃、ヤナ・クドリャフツェワとしょっちゅう会っていたんです。なにか彼女がショッピングに行こうと誘ってきて。1軒目に寄って、2軒目へ行って。彼女の顔を見ると、なんだか残念そうなんです。「ヤナ、どうかしたの?」と聞くと、「あなたとはもうどこへも行かない。今ならあなたはどこへ行っても気づかれて、サービスしてもらえると思ってたのに。何のメリットもないじゃない」って。

 私は親戚にすら気づかれないことがあって、リンクではあんなに大人だけれど実際は14歳より上に見えない、と言われます。ほとんどいつもノーメークにスポーツウェアでうろついてますから。私だと気づかれるためには、チュチュを着て、スケート靴をはいて、頭にティアラを載せて歩かなくちゃいけないし、さらに金メダルを持っているのが望ましいですね。そういうわけで、特に自分に人気があるとは感じませんでした。もちろん、ソチ五輪が終わって最初の年はかなり盛んにフォトセッションに呼ばれました。でも、私はルスランとカップルを組んだし、メダルを獲ったのはニキータとです。オファーを断る必要があると、きっぱり決めました。『エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフ』というブランドはもう存在しないわけですから。私は人生の新たな時代に、新たなパートナーとともに入りました。そして、その起こったことを嬉しく思っています。

 ― アイスダンス自体はオリンピック後、変化しましたか?

 私は、ダンスは悪くなったと思っています。ソチ五輪まではどの試合も一息で見られました。上位10組ならどのカップルにでもチャンピオンの称号を与えることができました。各組がまったく二つとない、独自のスタイルを伝えていました。

 ソチ後は、すべてが随分と単調になりました。最初のシーズン、その流動性と可塑性で皆を驚かせたのがパパダキス/シゼロン組でした。当時は見ていて本当に信じられないようなものでした。その後、アイスダンスの世界は、それが新たなトレンドであると決めたんです。それには従わなくてはいけません。その結果、大多数がこのスタイル―もの悲しい短調―で滑っているわけです。ソチまではみんな様々で、ファンは自分のお気に入りのカップルを見つけることができました。ディスカッションや論争がありました。選手間だけでなく、スタイル間でも試合が運ばれている感覚すらありました。とても面白かった。今はすべてが少し退屈に見えます。

 ― もしかすると、テッサとスコットが状況を正してくれるのでは?彼らはオリンピックの新たなメダルのために戻ってきたのでしょうか?

 明白です。私は二人がメダルを手にすると確信しています。プロフェッショナリズムはどこへも行っていません。百戦錬磨です。怪我を経験しています。自分の身体をもってどうトレーニングするかを知っているし、お互いを知っているし、自分たちのスタイルを知っているし、ジャッジから何を期待されているかを知っています。これはどこにも隠せません。

 二人が何か独自のものを持ち込めるかですか?そうなってほしいと強く願っています。重要なのは、二人がこのスタイルの影響下に入らないこと。でも、それは二人にとって新しいことです。二人が今までそんなふうに滑ったことはありません。私に分かっているのは、このカップルこそが何でも滑れるということ。リリックにも、どんなにモダンな振付にも十分なエモーションを持っています。彼らが私たちを驚かせ続けてくれますように。そして、私たちのアイスダンスにさらに新しいものをもたらしてくれますように。

 ― ところであなたは来シーズン、何か新しいものを提示する準備はできていますか?やはりオリンピックシーズンですが。

 アイデアは頭の中にたくさんあります。実際に勝ちたいという気持ちも、想いもあります。いま私の人生で起こっていること、何か失われたもの、何か敗れたものがグローバルな失望につながるわけではありません。すべてを捨てなければという感覚はありません。打撃の感じ方が変わってきています。


※“人生に不満を持つ男が、神に万能の力を与えられることで心の成長を遂げるヒューマン・コメディ”だそうです。(「ロシア語吹き替え映画と音声mp3販売専門のお店」さんよりhttp://www.ru-ua.biz/?pid=18182475



<原文>
https://matchtv.ru/figure-skating/matchtvnews_NI715311_Jelena_Ilinyh_Vyigrali_medal_v_Sochi_i_dva_dna_ne_mogla_dvigatsa__tolko_spala_i_plakala
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