ミーシン<トゥクタミシェワは王冠の宝石(4・5完)>
選手を絶え間なく引っ張り上げようとしてはいけない
※4の部分はasappoさんが訳してくださっています↓
http://kurkuma.blog.fc2.com/blog-entry-2013.html
コストナーとの仕事は自分自身への挑戦
― コーチ生活の中で教科書を山ほど書いていらっしやいます。ルール改革に参加するお考えはなかったのですか。
それには興味がない。私はどこかの時点で自分の仕事に対する態度を変えた。あなたの同業者からシーズンの予定や目標を聞かれたら、予定は極めて簡単だと答えよう。つまり、朝気分よく目覚め、リンクへ来て、選手たちにジャンプを教え、プログラムを組み立てて音楽を自分好みに編集し、衣装を考案し、仕事仲間と交流し、友人をダーチャに招く。そして、もしシーズンの最後にさらにメダルも手に入っていたら、なんと素晴らしいことだろうと。
― ずっとそういう考え方だったのですか、それとも年齢的なものですか。
ちょっと違う言い方をしてみたい。これは、1969年にコーチ業を始め、2019年に50周年を迎える人間の哲学だ。
― お祝いをするのですか。
それまで生きていれば、祝ってはいけないことがあるだろうか。もうこれ以上仕事をしないという時になっても、自分があらかじめ決めた針路が存在し続けるよう強く願っている。ちなみに、それはこれからも存在するだろう。なぜなら私のそばには、私の学校には、妻のターニャもいるし、二人の共通の生徒であるタチヤナ・プロコフィエワも、オレグ・タタウロフも、アリーナ・ピサレンコも、アルトゥール・ガチンスキーもいるからだ。これはもうチームというよりファミリーだ。いま我々のもとではカロリーナ・コストナーが練習しているので、彼女が何に注目し、どんな願いを持って仕事に身を捧げるのかを見る必要がある。しかし、彼女が初めてサンクトペテルブルクへやって来たときには、ここで2回目、3回目の合宿を行うとはまったく想像していなかった。
― コストナーをコーチする中で、彼女に何か新しいものを教えようと意気込んでいるのですか。それとも、クライアントとの有償の仕事にすぎませんか。
私はコストナーからお金を取っていない。私にとって彼女との仕事はチャレンジであり、自分自身への挑戦だ。彼女を教えるのは興味深い。初めてここへ来たときはサルコウ-トゥループのコンビネーションをするのもやっとだった。今ではルッツも含めてすべてのジャンプを確実に跳んでいる。さらに興味をそそられる理由は、私のメソッドに対するこれほど創造的なアプローチに出会ったことがないということ。カロリーナは、言うなれば、世界の芸術的ビジョンが強く発達している。プログラムの中の彼女は垢抜けて精確だ。それに、ことのほか練習熱心で、その方がずっと大事なこと。こういう選手は、運動能力あるいは何か特別なトレーニングメソッドによってではなく、何よりも膨大な量の個人練習によって勝利するのだ。
あるいは、やはり私のところへトレーニングにやってきたミーシャ・ジーを生徒に取るのもそう。彼やカロリーナのような選手は、私に言わせれば、コーチからその才能に値する必要不可欠な注意を払われておらず、注意の割り当てが不足しているのだ。ロシアの選手をこのように言うことはできない。
― ロシアの主だったコーチたちがアメリカへ移りはじめたばかりの頃、彼らからお金を取ることさえしないリンクがたくさんあったのを知っています。世界最強のスケーターたちをコーチする様子を毎日観察し、彼らと並んで滑る機会を得る代わりに、リンクを無償で提供したのです。コストナーがあなたのグループにいることで、若い選手たちにとって教師のような作用が起こりますか。
もちろん。ただ、そばでトレーニングすればいつだって進歩が保障されるというわけではない。ちょうど諺にあるとおりだ。「馬を力ずくで水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
(終わり)
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